三日月

 

   CHANELのロゴマーク

 

シャネルというブランドがあります。

 

それまで、喪服にしか使われなかった「黒」を基調にした「白」のファッションで爆発的な人気を獲得しました。

 

「C」と「C」を重ねたロゴマークで有名です。

 

その由来はココシャネルのCOCOをデザイン化したものだと言います。

 

ココ・シャネルという名前は、本名ではなく、歌手を目指してキャバレーで歌っていた時の愛称だそうです。

 

彼女は、フランス南西部オルベーニュ地方で生まれたそうです。

 

幼くして母親が亡くなり、父親からは捨てられて、修道院で育ったそうです。

 

このロゴマークは、彼女が育った修道院のステンドグラスの模様からヒントを得たと言います。

 

彼女の見たステンドグラスの模様が、どういったものかはわかりませんが、キリスト教と、関係の深いマークだと言えるでしょう。

 

「C」と「C」が交差した形は、二つの三日月が重なった形で「X」と同じ意味があります。

 

中央に出来るアーモンド型(魚の形)は、「マンドルラ」(光背)と呼ばれ、キリストの光背としても描かれたりします。

 

ローマにある、サンタ・マリア・イン・アラチェーリ教会の「聖ベルナルディーノのフレスコ画」にも、キリストの光背として「マンドルラ」が描かれています。

 

「マンドルラ」は「聖母マリア様」を表す形でもあり、そこから誕生する「イエス様」を表す形でもあり、「目」の形でもあります。

 

                  © Ricardo André Frantz (User:Tetraktys-English)

                              聖ベルナルディーノのフレスコ画

 

このアーモンド型を、ラテン語で「ウェシカ・ピスキス」(Vesica Piscis)、英語では「ヴェシカ・パイシーズ」と言います。

 

「魚の器」という意味だそうです。

 

初期のキリスト教の隠れシンボルに、「イクトゥス」と呼ばれるものがあります。

 

        イクトゥス

 

魚の形の中に、ギリシャ語で「魚」を意味する「ΙΧΘΥΣ」という文字が書かれます。

 

これは、ΙΗΣΟΥΣ ΧΡΙΣΤΟΣ ΘΕΟΥ ΥΙΟΣ ΣΩΤΗΡ (ギリシャ語でイエス、キリスト、神の、子、救世主)の意味の頭文字を五つ並べたものだそうです。

 

キリスト教がローマから迫害されていた時期に、キリスト教徒同士が相手に自分がキリスト教徒だと分らせる為に、用いられた記号が「イクトゥス」だったそうです。

 

当時、キリスト教は、ローマの迫害から逃れ、地中海付近で布教しながら「アスクレーピオス」という医学の神様の信仰を吸収し、同化していったようです。

 

「アスクレーピオス」は、「蛇」が絡まった「杖」を持っていると言われます。

 

その為、「蛇」は医学のシンボルとされ、WHOのマークにも使用されています。

 

「蛇」と、「魚」は、共に鱗のある生き物で、同じ意味合いがあるようです。

 

 

          © mufunyo

       初期のΙΧΘΥΣと円形(エペソ)

 

初期の「イクトゥス」のマークは、上のようなもので、右の車輪のような円形を「エペソ」と呼び、トルコ西部の小アジアにあったギリシャ人の古代都市のマークだそうです。

 

「エペソ」は、「エフェソス」とも呼ばれ、月の女神「アルテミス」崇拝があり、アルテミス宮殿のあったところです。

 

「聖母マリア様」と、使途ヨハネが余生を送った場所とも伝えられています。

 

「イクトゥス」が「魚」の形をしているのは、イエス様が病気の治療に「魚」を用いたのかもしれません。

 

現に、キリストの十二使徒のほとんどが、元漁師だと言います。

 

ギリシア神話で、「魚座」に関連するお話があります。

 

愛と美の女神「アフロディティー」と、その子「エロス」が、エリダヌス川のそばを歩いていると、そこに、テュポンという怪物が現れ、驚いた2人が「魚」に変身し、離ればなれにならないように互いの体を「リボン」で縛って逃げたと言います。

ゼウスは、この「母子の愛」の姿を記念に、「魚座」として星座に加えたと言います。

 

「アフロディティー」は、後に「聖母マリア様」と同一視された神様なので、その子「エロス」は、「イエス様」に対応することになり、この親子の愛とは「聖母マリア様」と「イエス様」の母子愛と重なります。

 

二つの三日月の重なりとは、「人間」(聖母マリア)と、「神様」(ヤハウェ)が一つになる時に、「第三の目」(イエス・キリスト)が誕生するということなのかもしれません。

 

日本流に言えば、「O」と「C」の重なりなのかもしれません。

 

「ヤハウェ」とは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の唯一神で、イスラム教では、「アラー」と呼ばれています。

 

日本では、「太陽」と「月」が重なり「マナ」(食料)=「小目」(こめ)=「米」(こめ)が生まれたと言われる籠神社(このじんじゃ)があります。

 

「お米」と「神様」を一緒にするなと怒られそうですが、「マナ」は万物を生み出すエネルギーの象徴のようです。

 

「籠の目」(このめ)は「籠目」(かごめ)=「籠目」(こめ)でもあるわけです。

 

「マナ」は「出エジプト記」の第16章に出てくる謎の食料でもあります。

 

日本で美味しい「お米」といえば新潟県の「魚沼産」(うおぬまさん)の「コシヒカリ」です。

 

新潟には「魚沼神社」(うおぬまじんじゃ)があり、「天香語山命」(あまのかごやまのみこと)と「豊玉姫命」(とよたまひめのみこと)と「阿彦」(あひこ)の三神が祀られています。

 

「天香語山命」は尾張氏(おわりし)で「天武天皇」(てんむてんのう)を表し、「彌彦」(いやひこ)という名前もあります。

 

「彌」(いや)は「弓矢」の事ですが「否」(いや)の意味があり、「NO」(ノー)の意味があります。

 

「応神天皇」(おうじんてんのう)の「応」(おう)が「YES」(イエス)なのに対して、「彌彦」(いやひこ)は「NO」の神様という意味だと考えられます。

 

「応神天皇」と対立した伝承のある「香坂王」(かごさかのみこ)も天武天皇の事です。

 

「香語」(かご)や「香」(かご)は籠神社(このじんじゃ)の「籠」(かご)=「鹿児」(かご)で「鹿児」(かに)=「蟹」(かに)にもなり、横に歩く事から首を横に振る「NO」を指しているのかもしれません。

 

京都府木津川の蟹萬寺(かにまんじ)の「蛇」を退治する「蟹」は「天智天皇」を退治する「天武天皇」を表していたようです。

 

「さるかに合戦」は「藤原鎌足」(白髭明神)と「天武天皇」(薬師如来)の争いを象徴していて、壬申の乱で「蟹」が勝利を収めますが、再び、桓武天皇が誕生し、「猿」が勝利を収める形となります。

 

ギリシャ神話では「かに座」は「うみへび座」の兄弟とされ、仲が良い事になっています。

 

「豊玉姫命」は八尋鰐(やひろわに)の神様で、和爾氏(わにし)の祖「王仁」(おうじん)=「応神」(おうじん)となり、「YES」の神様は「皇極天皇」を指すようです。

 

本来、「皇極天皇」は「応神天皇」の母の「神功皇后」(じんぐうこうごう)がモデルなので「応神天皇」が「天武天皇」なのですが、それでは面白くない藤原氏が「彌彦」(いやひこ)という名前を付けたのだと思います。

 

それで「応神天皇」を弓矢の神様「八幡神」(はちまんしん)と抽象的な「みんなの神様」に変えたのだと思われます。

 

最後の「阿彦」の「阿」(あ)は「熊」(くま)の事で「素戔嗚尊」(すさのおのみこと)を意味するものと思われます。

 

「熊野」(くまの)と書いて「熊野」(いや)=「否」(いや)とも読みます。

 

魚沼神社は元々は「皇極天皇」(聖母マリア様)と「天武天皇」(イエス様)の母子をシンボルとしていたようで、境内には「阿弥陀如来」(あみだにょらい)を祀る阿弥陀堂が存在します。

 

「阿弥陀如来」は皇極天皇を象徴します。

 

「コシノヒカリ」の「コシ」は越国(こしのくに)の「越」(こし)ですが、元々は「神輿」(みこし)の「輿」(こし)で、物部尾輿(もののべおこし)=物部氏の「玉の輿」に乗った弓削氏(ゆげし)=秦氏を象徴する皇極天皇を指す言葉になります。

 

「神輿」はモーセがエジプトを脱出した後にイスラエルの三種の神器の「十戒の石板」、「アロンの杖」、「マナの壷」を収めていたとされる「契約の箱」(アーク)と形状がよく似ていると言われます。

 

ソロモン王の死後、北イスラエル王国と南ユダ王国に分裂し、「契約の箱」は歴史から姿を消します。

 

しかし、現在、エチオピア正教会がこれを保持していると言われています。

 

日本の祭は「神輿」を担ぎながら町を練り歩き、時には乱暴に扱って川に投げ込んだり、火の中に投げ込んだりして壊してしまう場合もあります。

 

これは「契約の箱」がエジプトとの縁を切る切っ掛けとなった「十戒の石板」を含む「聖」なるものの象徴だからかもしれません。

 

「契約の箱」の上部の端には二体の「ケルビム」と呼ばれる天使の像が中心に向かって羽を交差させ、中心に「三角形」を作る形で取り付けられていたようです。

 

「三角形」の中心に入るのが「ヤハウェの目」であり、「マンドルラ」です。

 

日本の「神輿」は屋根に一体の「鳳凰」(ほうおう)が飾られます。

 

                    平等院鳳凰堂

 

京都の宇治に「平等院鳳凰堂」(びょうどういんほうおうどう)と呼ばれる藤原氏の寺院があります。

 

「平等院鳳凰堂」自体が「鳳凰」を前から見た形に造られていて、中心の「中堂」から翼に当たる「両翼廊」(りょうよくろう)が左右に出て、後ろには尻尾に当たる「尾廊」(びろう)が出ています。

 

しかし、よく見ると「中堂」と「両翼廊」は繋がっておらず、二階部分は床板から天井まで3尺しかなく登る階段もなく、人は一階の下の部分の地面を歩いて「中堂」に入ります。

 

本当に「鳳凰」を模して造るのであれば、「中堂」と「両翼廊」は繋げるはずで、故意に切り離しているとしか考えられません。

 

つまり、この「鳳凰」の「翼」はただの飾りで、本当は「翼」の無い「鳳凰」だというわけです。

 

私は「平等院鳳凰堂」は「契約の箱」を横から見た形を意識して造られたものなんじゃないかと思います。

 

「中堂」の屋根の端には二体の「鳳凰」(ほうおう)の飾りが中心に向き合っていて、羽は後ろに伸ばしている形ですが、こちらも羽が短くトサカがあって、まるで「鶏」(にわとり)のような姿をしています。

 

「鶏」はご存知のように飛べない鳥です。

 

地面を渡って「中堂」に入るのも「鶏」の「翼」が飾りだからかもしれません。

 

 

二体は、それぞれ、雄の「鳳」(ほう)と雌の「凰」(おう)になるそうです。

 

雄の「鳳」(ほう)はエジプト神話の隼(はやぶさ)の神「ホルス」であり、「イエス様」を表しています。

 

雌の「凰」(おう)はエジプト神話の鳶(とび)の女神「イシス」であり、「聖母マリア様」を表しています。

 

「鳳凰」は「イエス様」と「聖母マリア様」の「母子」を表し、日本では「天武天皇」(薬師如来)と「皇極天皇」(阿弥陀如来)の「母子」を表しているものと思います。

 

「鶏」は「二羽の鳥」(にわのとり)で、「鳳凰」=「母子」の代わりという意味かもしれません。

 

「天武天皇」は龍田明神(たつたみょうじん)と呼ばれ、その使いは「鳳凰」ではなく、「鶏」(にわとり)だとされます。

 

「鶏」は「朝を告げる」「復活」の象徴で、「太陽」の使いでしたが、ペテロがイエス様を3度「知らない」と言った「裏切り」の象徴でもあります。

 

奈良県生駒市にある往駒大社(いこまたいしゃ)では元旦の朝に「追鶏祭」(とりおいのまつり)という行事が行われます。

 

その由来が、神功皇后が遠征で生駒に立ち寄った際、朝早くに出発する為に「鶏」に鳴くように命じていたのですが、「鶏」が夜に鳴いてしまい、間違えて出発してしまいました。

 

怒った神功皇后が「鶏」を生駒川に投げ入れたのですが、川下の龍田川まで流された時に、龍田の神様が「鶏」を拾い上げ使いとしたという話です。

 

往駒大社は「火」の神様を祀り、龍田大社は「風」の神様を祀ります。

 

「鶏」は「太陽神」(天照大神)の使いから、「風神」(素戔嗚尊)の使いとなるようです。

 

生駒山と龍田山(信貴山)は連山で、「母子」のセットになります。

 

この「平等院鳳凰堂」の中には「阿弥陀如来」が祀られていて、それがモーセの「三種の神器」の代わりなのかもしれません。

 

「平等」という言葉を聞くと、私は人間は誰でも仏になる「種」=「仏性」(ぶっしょう)を持っているとされる「悉有仏性」(しつうぶっしょう)という言葉が思い出されます。

 

「仏性」も「マナ」であり、他人を愛する「仁」(じん)の心でもあります。

 

仁徳天皇(にんとくてんのう)は「民の竈」(たみのかまど)=「マナ」から煙が立たないのは貧しいからであり、税金を免除しようと決めた天皇であり、「仁」(じん)の徳をもつ天皇になります。

 

仁徳天皇陵の古墳の形は「竈」(かまど)=「荒神様」の形であり、「マナの壷」を表しているのかもしれません。

 

「人間の女性だけが汚れているのでしょうか」と親鸞(しんらん)に質問した赤山明神(せきざんみょうじん)の言葉を思い出します。

 

赤山明神とは道教の神様である泰山府君(たいざんふくん)だとされますが、私が思うには、おそらく天細女命(あめのうずめのみこと)の事であり、「マグダラのマリア」に当たるのだと思います。

 

悉有仏性(しつうぶっしょう)について

 

ヒンドゥー教のヨーガで、チャクラと呼ばれるものがあります。

 

人体には、光った「車輪」が回転しているように感じられるエネルギーの集中する場所があって、それをチャクラと呼ぶそうです。

 

チャクラは無数にあるそうですが、人体で、主要なチャクラは、七箇所あるそうです。

 

七箇所あるうちの、眉間にある第6番目のチャクラを、アージュナーと呼び、「第三の目」とも呼びます。

 

ヒンドゥー教のシヴァ(大国主命)や、密教の愛染明王(皇極天皇)なども、「第三の目」がよく描かれます。

 

これは、仏部(如来)・蓮華部(菩薩)・金剛部(明王)の仏の威徳を、全て、この身体の中に有していることを表していて、三界(凡夫が、生死を繰り返しながら輪廻する世界)を、見通す事が出来るという意味があるそうです。

 

また、仏像などにも円で描かれる光背ですが、頭の後ろにあるものを「頭光」(ずこう)と呼び、身体の後ろにあるものを「身光」(しんこう)と呼びます。

 

二つ合わせて「二重光背」と呼びますが、これも、円と、円が重なって、「マンドルラ」が生まれるという「第三の目」と同じ意味が、含まれているものだと思います。

 

     愛染明王(『図像抄』〈十巻抄〉より)

 

キリスト教に、「魚」を用いて「目」の病気を治す医学の天使に、ラファエルという天使がいます。

 

ミカエルや、ガブリエルほど、ラファエルという天使は、重く用いられませんが、今までの話を考えると、とても意味深い天使だと思います。

 

重く用いられないのは、イエス様が、このラファエルの性質を吸収して、同化してしまったからなんじゃないかと、私は、思います。

 

イエス様の奇蹟の約9割は、病気の治療であり、このラファエルと重なります。

 

それから、もう一つ、「魚」に関係する話ですが、英語のアルファベットは、ギリシャで生まれました。

 

もとは、地中海に居たフェニキア人のフェニキア文字から作られました。

 

「魚」を表すフェニキア文字は、「サメフ 」(samekh)と書かれ、アルファベットの「X」に対応しているそうです。

 

「サメフ」は、「魚」であり、もともとは、「蛇」を表す言葉だそうです。

 

しかし、現在、キリスト教で描かれる絵画ではラファエルが足で踏んでいるのは「蛇」であり、「聖」(キリスト教)と「俗」(悪魔)は切り離されてしまいます。

 

          ラファエル

 

「マンドルラ」=「魚」はキリスト教(聖)とローマ(剣)が結び付く以前のカタコンベ時代以前の象徴なのかもしれません。

 

「マンドルラ」は植物の「種」であり、生命の根源の「マナ」=「米」でもあります。

 

「目」は「マナの子」で「眼」(まなこ)です。

 

「太陽」と「月」のシンボルです。

 

日本ではラファエルはお稲荷さんであり、豊受大神と呼ばれ、「蛇」の大物主命とは仲が良く深い結びつきを持っています。

 

イエス様もキリスト教になる前はユダヤ教に属していました。

 

当時、ユダヤ教は大きく分けて、3つのグループが存在しました。

 

一つはファリサイ派で、「天使」や「精霊」(霊魂)、「復活」などのペルシアのゾロアスター教の影響を受けたと思われる宗派で、「律法」を重視し、「穢れ」=「俗」を嫌うグループです。

 

その為、新約聖書では「愛」より「律法」を重視する悪役として描かれる事の多いグループです。

 

イエス様が当時、罪人や異邦人と一緒に食事をした事により、イエス様との対立が決定的となります。

 

ユダヤ人にとって、これらの人々は「穢れた人」であって、関わらない事が「聖」を守る手段とされたからです。

 

パウロも最初、ファリサイ派に属してイエス様を迫害しましたが、目から「鱗」(うろこ)のようなもが取れて目が見えるようになり、イエス様を擁護する立場へと回心します。

 

そして、もう一つの宗派は、「神殿」などギリシャの影響を受けたと思われるサドカイ派で、ユダヤ戦争に伴いエルサレム神殿の崩壊と共に滅亡します。

 

サドカイ派が消滅してからはファリサイ派がユダヤ人の基本となります。

 

そして、最後は少数派のエッセネ派です。

 

エッセネ派はファリサイ派と似ているのですが、紀元前130年頃に「義の教師」なる人物によってエルサレムの神殿祭儀に反対して創設されたユダヤ人のグループになり、祈りと瞑想を基本とする修行を行い、厳格な規律のもと、岩窟に隠遁して禁欲的な宗教生活をおくり、共有財産制の修道院的な性格を持ったグループでした。

 

エッセネという名は「医師」を意味する古代シリア語に由来しているという説もあります。

 

私はエッセネ派がラファエルを信仰した宗派だと思っています。

 

ラファエルはギリシャ神話のヘルメスとも結びつき、「錬金術」、「神秘主義」という性格も持ち合わせていたようです。

 

実際にエッセネ派は医師や、医学に精通した人々で構成されたグループであったようです。

 

そして、エッセネ派が他のユダヤ人グループと比較して最も特徴的な点は、より「救世主」の出現を望んだ事にあるようです。

 

このファリサイ派、サドカイ派、エッセネ派以外にも、ローマに対してテロも辞さない過激派のゼロテ派(熱心党)や、スイカリ派(短剣党)などもあり、イエスの十二使徒のシモンは熱心党であったとされます。

 

新約聖書にはファリサイ派やサドカイ派が登場するのに、当時、それらと並んで主要な派閥であったエッセネ派が登場しない事から洗礼者ヨハネがエッセネ派に属していたのではないかという説も存在します。

 

その説が本当ならイエス様はエッセネ派から独立してナザレ派を立ち上げ、それが後にキリスト教へと発展していった可能性もあるという事です。

 

エッセネ派の福音書では「人間は大地なる母がお生みになられた息子」だとされ、それまでの神様は男性だというイメージが大きかったのですが、女性のイメージが大きくなっています。

 

レオナルド・ダ・ヴィンチの「岩窟の聖母」でも、洗礼者ヨハネとイエス・キリストは子供の姿で描かれていて、主役は「聖母マリア様」と「天使」だという印象を受けます。

 

        岩窟の聖母(ルーヴル美術館所蔵)

 

後のキリスト教、特にカトリックが、「聖母マリア様」を抜きにしては語れない「愛」を中心とした宗教へと発展していく要素を既にエッセネ派が持っていたものと思われます。

 

「聖母マリア様」を象徴する「七」という数字が頻繁に出て地球を取り囲む惑星の「七曜」(しちよう)を思い起こさせます。

 

「七」は創世記第41章の「七頭の牝牛と七つの穂」のエジプト王のファラオが見た「夢」と関係があります。

 

「七頭」の肥えた「牝牛」がナイル川の「葦」を食べていたら後から来た「七頭」の痩せ細った「牝牛」が肥えた「牝牛」を食べてしまい、それでも痩せたままであったという「夢」です。

 

それから、もう一つは一本の茎にとても豊かに実っている「七つ」の「穂」があり、それが後から出て来た痩せた「穂」が豊かな「穂」を飲み込んでしまうという「夢」です。

 

この二つの夢は、エジプトに最初の「七年」は豊作が続くが、その後の「七年」は大飢饉が起こるので最初の「七年」に食料を出来るだけ蓄えておくようにとヨセフがファラオに忠告をし、実際にそのようになったようです。

 

後に北イスラエル王国の長となるヨセフがその謎を解いた事により認められ、エジプトの宰相となり、ファラオから太陽の町オンの祭司ポティ・フェラの娘アセナトを妻に与えられます。

 

そしてエジプト人の血を引く「エフライム族」(蘇我氏)と「マナセ族」(秦氏)が生まれます。

 

マナセが兄で、エフライムは弟なのですが、創世記ではヤコブはエフライムを長子として祝福して、マナセを次位に置いたとされますが、エフライム族に比べてマナセ族の方が子孫を増やし繁栄していったようです。

 

「七」、「七」と続くと、7月7日の「七夕」を思い浮かべますが、聖母マリア様の「七つの悲しみ」と「七つの喜び」を意味するようです。

 

「七つの悲しみ」はキリスト教の苦難を表し、聖母マリア様の心が「剣」で貫かれると預言者シメオンから伝えられます。

 

「七つの喜び」はイエス様を胎内に宿した「受胎告知」から、イエス様の「復活」、そして「聖母の被昇天」です。

 

「剣」の「シメオン族」はヤコブとレアの第二子で「耳を傾ける」という意味を持つ人物です。

 

短気で凶暴であったので、「蘇我氏」を後から充てたのだと思います。

 

「天幕」(家)の「ガド族」は大国主命を祖とする「佐伯氏」(出雲族)であり、「佐伯」(さえき)は「騒ぐ」(さえぐ)という意味で、1月7日の「人日」(じんじつ)に「七草」(さえぐさ)を食べる賑やかな「お祭り」を意味します。

 

出雲族の「七草」(さえぐさ)は百合(ゆり)の「三枝」(さえぐさ)を象徴するようです。

 

佐伯氏は物部氏に仕えた氏族で宮廷の守護をした事から「遮る」(さえぎる)や「塞」(ふさぐ)という意味の「塞」(さい)の意味があるようです。

 

「塞」(さい)は「塞」(さか)で仏教の「釈迦」(しゃか)を意味し、紀元前6世紀頃に中央アジアに現れるイラン系遊牧民族の「塞族」(さかぞく)を指します。

 

本来は「塞族」は、大月氏(古代の天皇家)=推古天皇に支配された「蘇我氏」に当たり、佐伯氏がその後継者を意味するのだと思います。

 

「オリーブの木」をシンボルとするヤコブの8番目の子である「アシェル族」は推古天皇の「忌部氏」=「エフライム族」(蘇我氏)の代わりであり「車輪」(エペソ)を象徴するものと思われます。

 

八幡神で応神天皇を象徴し、元々は天武天皇の「凡海氏」(おおあまし)だったのかもしれませんが、天武天皇が崩御した後に孫の長屋王と藤原四兄弟との熾烈な政権争いが起こり、長屋王が敗れ、皇極天皇の「息長氏」=「海部氏」(かいべし)が担当する形となるようです。

 

「エフライム族」は神武天皇の橿原神宮(かしはらじんぐう)の「橿」(かし)=「菓子」(かし)であり、「葡萄」(ぶどう)がシンボルになります。

 

ギリシャ語で編纂された聖書外典の第三バルク書には失楽園の原因となった「智恵の樹」(ちえのき)は「葡萄の樹」と書かれています。

 

アッカド人のゲシュティンアンナと呼ばれる女神が「葡萄」の女神で、弟のドゥムジの代わりに半年間は冥界に降るとされます。

 

ギリシャ神話の冥界の王「ハデス」とその妻で穀物神の「ペルセポネ―」であり、日本の出雲の「素戔嗚尊」と「櫛稲田姫」に当たります。

 

日本では山梨県のヤマブドウであり、現在は天武天皇を象徴する狭穂彦(さほひこ)の子孫が国造りをした土地になります。

 

天武天皇の「凡海氏」(おおあまし)が「蘇我氏」の後釜となり、「エフライム族」に当て嵌められたようです。

 

「マナセ族」は「ナツメヤシの樹」がシンボルで、こちらは同じくエデンの園に生えていたとされる「永遠の命」を持つことが出来る「生命の樹」になります。

 

人類がこちらの実も食べて「永遠の命」を手に入れていたならば、「神様」と全く同じ力を身に付けていたかもしれないと言われます。

 

そのエデンの園の東にあるとされる「生命の樹」を守る門番が「ケルビム」と呼ばれる天使で、フェニキア人が信仰した「フェニックス」(鳳凰)に当たるようです。

 

エジプトでは「スフィンクス」と呼ばれ、ヨーロッパの伝説の生物「グリフォン」なども「ケルビム」と同一のものと考えら、メソポタミア神話のイシュタルに仕える二匹のアンズー鳥で、アフロディーテ(ヴィーナス)に仕えるエロス(キューピッド)になります。

 

スフィンクスの前足の間から発見されたトトメス四世の「夢の碑文」(ゆめのひぶん)には2体のスフィンクスが描かれていて、現在のスフィンクスの隣に巨大な建造物の跡があり、スフィンクスは落雷により崩壊して1体になった可能性があると指摘する学者もいるようです。

 

一枚岩から掘り出した世界最大の建造物なので、最初から1体だけ造ったのか、最初は2体あったのかは分かりませんが、本来は2体あるのが正統なようで、天国の守護者「ケルビム」=「イエス・キリスト」との共通点が深まります。

 

「マナセ族」は、おそらく、秦の始皇帝の末裔の「秦氏」であり、後の「忌部氏」に当たります。

 

イスラム教の聖典コーランの第19章の「マルヤム」(聖母マリア様)には、聖母マリア様がイエス様を「ナツメヤシの樹」の下で産んだと記されているそうです。

 

「ナツメヤシ」の学名は「Phoenix dactylifera」(ダクティリフィーラ・フェニックス)で「堅果のヤシ」=不死鳥を意味します。

 

シュメール人の女神イナンナの「生命の樹」であり、一度は死んで復活を遂げる女神で、「十字架」を表しているとも言われます。

 

日本の神道が出した秦氏の望んだ「永遠の命」の答えは、古事記に書かれているように伊弉冉命(いざなみのみこと)が人間を1日に1000人殺したとしても、伊弉諾命(いざなぎのみこと)が人間に1日に1500人「子」を産ませる事で命は繋がれ、その繋がりを表すものが「生命の樹」(ナツメヤシ)である2体のケルビムの守っている向かい合った中央の「間」(第三の目)=「マンドルラ」の「愛」(仁)であり、「復活」だというわけです。

 

人類が「愛」を手に入れる事が出来れば「死」と「復活」を結ぶ事が出来るという事だと思われます。

 

日本では「子」は「宝」であり、聖天さん(皇極天皇)が「愛」のシンボルになるようです。

 

ちなみに「仁王」(におう)=「金剛力士」(ダビデ王)は「天武天皇」(阿)と「天智天皇」(吽)を表しますが、どちらが欠けても意味をなさず、「両目」が揃って初めて「籠の目」(かごのめ)になるようです。

 

「仁王」は「ユダ族」(ユダヤ人)と「ヨセフ族」(日本人)が揃うという意味のようです。

 

「ナツメヤシ」は日本には生息していなかったので、同じヤシの科の「棕櫚」(シュロ)が「ナツメヤシ」の代わりとなり、今日でも日本の聖書やキリスト教文献では「ナツメヤシ」は「棕櫚」と訳されるようになっています。

 

紀元前167年にセレウコス朝シリアの支配下にあったユダヤ人をマカバイ戦争で独立させ、エルサレム神殿を奪回し、ハスモン朝が開かれる基礎を築いたユダヤ人の民族的英雄のユダ・マカバイを民衆は「ナツメヤシ」の葉を持って迎えたとされ、「ナツメヤシ」(生命の樹)には「イスラエルの王」の意味があるようです。

 

イエス様がエルサレムに入城した時も群衆が「ナツメヤシ」の葉を持って「どうかお救いください」=「ホサナ」と言って歓喜して迎え入れたのは「ラザロの蘇生」の噂を聞いて知っていたからです。

 

しかし、実際には現れた新しい救世主は、群衆の期待した「武力の王」とは正反対で、よたよたの子ロバに乗った「弱々しい姿」で登場したわけです。

 

この5日後(金曜日)に、同じ群衆が「殺せ、殺せ、十字架に架けろ」と手のひらを反すように叫び出すとは夢にも思いません。

 

死んだラザロを生き返らせるというイエス様が起こした「最大の奇跡」は群衆にイエス様を「死を克服した救世主」、「真の救世主」として信じさせるには充分でした。

 

しかし、それが同時に群衆を惑わす危険な反乱分子としてユダヤ人の最高法院「サンヘドリン」の長老達の目に映り、イエス様の「殺害計画」が立てられる事になります。

 

イスカリオテのユダを買収し、イエス様を捕らえて偽りの証人に証言させ、神への冒涜の咎で死刑を宣告します。

 

十字架に架けられたイエス様が本当の救世主なら「奇跡」を起こすはずだと群衆も見守ります。

 

イエス様が残した最後の言葉「我が神、なぜ私を見捨てられるのですか」は「奇跡」が起きず「死」を待つ悲痛な叫びにも思えます。

 

私は「神の子」より「人の子」、「奇跡」よりも「普通」が本物の「愛」だと思っています。

 

イエス様は神が遣わした特別な「人の子」です。

 

イエス様の指し示している「指」を見るより、指し示している「愛」を見る方がイエス様の「真意」が理解出来ると思います。

 

「奇跡」を起こして「復活」した事が重要なのではなく、「奇跡」を起こすことが出来ない「人間」こそ本物であり「愛」が重要なのだと思います。

 

自分が正しいと思ってる事が時には間違っている事もあるのですが、あらゆる可能性について考える事は真実を知る上では必要な作業だと思います。

 

12人の弟子を集めた「最後の晩餐」でイエス様が「この中に私を裏切るものがいる」という予言をした事は有名ですが、一般的な解釈では、その裏切者とは「ユダ」だとされています。

 

でも、この当たり前と思っている事も本当は違うという可能性もあるように思います。

 

イスカリオテのユダは「サンへドリン」の長老達に買収されるわけですが、敢えて買収される為にイエス様に不満があるような噂を流したり、お金が必要なそぶりを見せたりして近付いた二重スパイの可能性です。

 

イエス様はローマ帝国を相手に反乱を起こそうとはせず、自分一人が処刑されれば、弟子達の教団が助かると考えて計画を立てたのではないかと思われます。

 

ユダが間に入る事で偽者を十字架に架ける事が出来て、教団にとって一番大切な指導者を助ける事が出来るわけです。

 

十字架に架けられた偽者とはイエス様の双子の兄弟のトマスであり、インドへと伝道に向かったトマスが実は本物のイエス様だったという仮定です。

 

そうだとすると他の弟子達にも真実を語らず汚名を一人で引き受けたユダは、一番、忠義を尽くした弟子になり、自分の知っていた世界とは全然様相が変わってきます。

 

私は、この「裏切者」の予言は皮肉にも「ユダ」以外の別の弟子に的中している人物がいるように思います。

 

間違っている可能性もあるので、敢えて名前を挙げませんが、おそらく本人も裏切っている事を自覚していない人物なのではないかと思います。

 

秘密を洩らさない為に、弟子達の中でも入れ替わりの事実を知っていたのは、ほんの一握りの人物だけだったのではないかと思います。

 

「ラザロの蘇生」も、マグダラのマリアと弟のラザロが弟子達にイエス様を「神の子」と信じさせる為に仕組んだ「奇跡」である可能性もあるように私は思います。

 

イエス様が十字架に架けられた後、イエス様の「復活」を宣伝し、異邦人に対して布教を進めるパウロはおそらく、事実を知っていた一握りの人物に入るのだと思われます。

 

パウロの「エペソ(エフェソス)人への手紙」は、エペソ(現在のトルコ)のクリスチャンの共同体に向けて書かれた手紙で、イスラエルの民=「天」と異邦人=「地」の二つのものが十字架を通して一つとなり、十字架によって滅ぼされたのは「敵意」であったという趣旨が記されていて、「イエス様」(本当はトマス)が処刑された事によって「サンへドリン」の「敵意」が消え、「イエス様」と「トマス」が一つである事を暗に示しているように私は思います。

 

ヨハネの福音書11章16節でも、「私達も行って、主と一緒に死のうではないか」と言ったのはトマスだとされ、身代わりとなって死ぬ事を称賛しているように私には聞こえます。

 

だけど重要なのはキリスト教が世界宗教へと発展した理由ではなく、キリスト教の教えの中身だと私は思います。

 

人々は「パン」や「魚」、そして病気を癒す「奇跡」を「救世主」に求めます。

 

だけど、本当に必要なのは「奇跡」ではなく「愛」だという事です。

 

マルコの福音書12章35節~37節のイエス様が十字架に架けられる直前に律法学者に「どうしてキリストをダビデの子というのか」「ダビデ自身がキリストを主と呼んでいる」と答えています。

 

これはダビデの詩編110篇を引用していて主(ヤハウェ)の右の座に着かれる主(アドナイ)をイエス様がキリストと解釈したものです。

 

子が父を「主」と呼ぶ事はあっても、父が子を「主」と呼ぶ事は有り得ないのに、律法学者は「キリストはダビデの子」と言います。

 

ダビデの方が主より重要になっているのです。

 

ダビデは「武力」の象徴で「敵」を足台にしてくれるユダヤ人の望む英雄です。

 

ロバに乗った弱々しいイエス様ではいけないというわけです。

 

イエス様の弟子達によって「復活」を信じるキリスト教が生まれ、ダビデの子孫の聖母マリア様が「聖霊」によって一人で身籠ったとされ、「俗」なる「人の子」が「聖」なる「神の子」へと変っていきます。

 

ダビデの詩編が「聖霊」によってなされた「救世主」の預言だからです。

 

ロバに乗ってギホンの泉に油を注がれに行ったのはダビデとバト・シェバの子ソロモンです。

 

マタイの福音書1章16節ではイエスの養父ヨセフがソロモンの子孫だとされていますが、養父ヨセフは消えた北イスラエル王国のヨセフ族の子孫ではないかと私は思っています。

 

そこにソロモンを持って来ているのは、イエス様が養父ヨセフの血の繋がりがあった場合も、ソロモンの血を引いていればダビデの子孫という「救世主」の条件が満たされるからです。

 

イエス様が十字架に架けられる前に律法学者から問い詰められた「キリストはダビデの子」という「理想」に、残されたキリスト教徒達が合わせていったのではないかと想像されます。

 

旧約聖書ではヨセフ族はその子供のエフライム族とマナセ族の二つに分けられますが、本来、「智恵の樹」と「生命の樹」は二つで一つであり、「鳳」と「凰」の二羽で一羽の「鳳凰」になるもので、本来は分けられないものを分けてしまっているのかもしれません。

 

「自分」と「他人」であり、「エサウ」と「ヤコブ」、「アロン」と「モーセ」、「カイン」と「アベル」になります。

 

この二つは11番目の「鏡」(ヨセフ)=イエス様で繋がっていて、8番目の「車輪」(アシェル)=トマスと入れ替わります。

 

日本に伝わった大乗仏教はトマスがインドにキリスト教を伝えた事で生まれたものです。

 

「トマス行伝」によると西北インドのガンダーラにあるパルティア王国の首都タキシラで、トマスはゴンドフェルネース(グンダフォロス)王をキリスト教に帰依させたと言われます。

 

マウリヤ朝のアショーカ王が領地の西北部に使節を派遣し、仏教の「法」(ダルマ)をガンダーラに伝え、西北インドのガンダーラにあるパルティア王国の首都タキシラで、トマスはゴンドフェルネース(グンダフォロス)王をキリスト教に改宗させたと言われます。

 

イエス様の死後、ペテロが初代教皇となったキリスト教(カトリック)と、ナグ・ハマディ写本に代表されるトマスはグノーシス主義(マニ教)という烙印を押され対立します。

 

蘇我氏が飛鳥時代に日本に伝えようとした仏教はマニ教と近い兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)=孔雀明王を頂点とする仏教で、イランのゾロアスター教がルーツのようです。

 

グノーシス主義を批判する異端駁論(いたんばくろん)の著者でリヨン(フランス)の司教となるエイレナイオスによってトマスが廃除される代わりに使徒ヨハネが加えられ、使徒達の世代のイエス様に関わる口伝を「新約聖書」という形で纏める原動力となりました。

 

大乗仏教は自分だけが救われるのではなく、教えを広めて他人も救おうという仏教で、トマスに影響を受けて誕生した仏教です。

 

また、南インドに渡ったトマス派はイランから渡って来たネストリウス派と合流し布教を進め、その影響を受けたペルシア生まれの胡人の達磨大師(だるまたいし)が南北朝の宋の時代に中国に渡って中国禅宗を生みます。

 

禅宗も浄土宗も、トマスの影響を除いて語れない「聖」と「俗」を分けない仏教だと私は思います。

 

「エペソ」(エフェソス)はアジアへとキリスト教を伝える為の重要な拠点として「大門」として表され、仏教の伝道を表す「転輪聖王」の意味も兼ねているように思います。

 

ヨハネの福音書14章6節でトマスに対してイエス様が言われたとされる「私が道であり、真理であり、命なのです」という言葉は、死が終わりではなく天国への通過点で、イエス様の教えに従って進む事で「神の家」に住むことが許されるのだと勇気づけているように思えます。

 

431年東ローマ帝国が「エフェソス公会議」を開き、アレクサンドリア総主教キュリロスとコンスタンティノポリス大主教のネストリウスが「聖母マリア様」を「神の母」と認めるか認めないかで争い、認めないネストリウスが異端とされ主教職を罷免され追放されます。

 

実際、イエス様は聖書の中で「聖母マリア様」を、「産婦」、「婦人」などと呼んでいて、イエス様とはそんなに仲がよくはなかった事が読み取れ、それを地母神の女神の信仰が強い異教徒を取り込みたいという政治的な理由で「神の母」にまで持ち上げる事にネストリウスは反対だったのかもしれません。

 

エフェソスはアルテミス神殿があった場所で、この土地のアルテミスはギリシアの処女性とは対照的に豊穣多産を象徴する沢山の乳房を持つ姿をしていて、「獅子」と「蜂」をシンボルとする大地母神キュベレーと習合した女神だと言われます。

 

「蜂」はエジプトと関わりが深く、蜂の巣から採れる「蜂蜜」は食用はもちろん、薬としても使用されていて紀元前1600年代に書かれたとされる「パピルス・エルベス」に皮膚病や傷に「蜂蜜」が効く事が記されています。

 

「蜂蜜」の保湿成分を利用してクレオパトラが美容に使用していたのではないかとも言われています。

 

大地母神キュベレーは女王蜂をイメージしているのかもしれません。

 

出エジプト記3章8節のカナン人、ヘト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の住む約束の地カナンの「乳と蜜の流れる地」とは「豊穣」を意味し、列王記の上11章5節にも記されているソロモン王が崇拝したカナンの女神アシュタルト(シュメール神話のイナンナ)がキュベレーのルーツになります。

 

そして、獅子をシンボルとするユダ族の処女性「聖母マリア様」がアルテミスの代わりとなり、カトリック圏では崇拝が進み、それがプロテスタントの批判の対象とされました。

 

聖母マリア様はマグダラのマリアの「俗」な存在を隠した「聖」の象徴のようなものだと私は思います。

 

私は「聖」という言葉を聞くと聖徳太子を思い浮かべますが、それ以外に十戒の第四戒の「安息日を覚えてこれを聖とせよ」を思い出します。

 

そして、イエス様が「ユダ族」のダビデが飢えた時に神殿のお供えのパンを食べた事を引き合いに出し、「安息日は人のために設けられた」「人が安息日のために在るのではない」(マルコ2章27~28節)という有名な言葉が続きます。

 

これは6日働いたら7日目の日曜日は休みましょうという事ですが、律法にうるさいファリサイ派の人々が安息日に病人を介護する事も拒否する事に対するイエス様の答えです。

 

「聖」に対する解釈の違いで、イエス様の考えでは「俗」を切り離す事が「聖」なのではないという事です。

 

この十戒の第四戒の「四」や、ヤコブの第四子「ユダ族」の「四」は「イスカリオテのユダ」を象徴していて「死」を表しますが、「機転」を利かす事で「復活」に転じる数字のようにも感じます。

 

「機転」を利かせば物事は動くというわけです。

 

ネストリウス派のキリスト教徒(景教)が書いた漢訳聖書の「世尊布施論」(せそんふせろん)を日本の法然上人や親鸞聖人が学び、中国の浄土教を纏めて体系化した浄土宗が日本で生まれたのも、ネストリウス派のキリスト教徒と言われる秦氏が日本人のルーツだからかもしれません。

 

「世尊布施論」の内容はマタイの福音書5章~7章、ルカの福音書6章の「山上の垂訓」(さんじょうのすいくん)で構成されているそうです。

 

「山上の垂訓」では「岩を土台に建てる家」と「砂を土台に建てる家」の二つの比喩を使い、前者がイエス様の教えを守って建てた家のようなもので、どんな嵐にも動じない家になるだろうと言われました。

 

ペテロの墓の上に建つカトリックの総本山「サン・ピエトロ大聖堂」は「岩」という意味を持つペテロの事で、どんな嵐にも動じないキリスト教の教会として存在する事となり、イエス様の預言が的中した形になります。

 

しかし、ペテロの本名は実はシモン(シメオン)です。

 

「剣」という意味を持つので「ローマの剣を土台に建てた家」という隠れた意味を持つようです。

 

カトリックの衰退の原因が「十字軍」で、「剣」を取った結果、財政負担となり、それを補う理由で「免罪符」を発行する事となり、ドイツでプロテスタントが生まれ、積極的キリスト教を名乗るヒットラーという怪物が生まれる事になりました。

 

人によってはこれらの事件を別々に解釈しようとする方もおられますが、私は、全て繋がっている事だと思っています。

 

「山上の垂訓」は「心の貧しい人は幸いである」という逆説的な有名な言葉から始まり、「悲しんでいる人」、「柔和な人」、「義に飢え渇いている人」、「憐み深い人」、「心の清い人」、「平和を作り出す人」、「義の為に迫害されてきた人」など「幸いである」が8回繰り返される事からカトリック教会では「真福八端」(しんぷくはったん)と呼びます。

 

「八端」(はったん)の「端」(はし)は「天国」を表す「中心」から程遠い事を意味し、そういった人々もイエス様と結ばれる事で「幸福への道」が約束される事を表しているようです。

 

秦氏(はたし)の「秦」(はた)は元々は「中心」の「芯」(しん)を表す「秦」(しん)でしたが、物部氏に「中心」を譲って「端」(はた)に変ったようです。

 

住吉大社の「住吉」(すみよし)は「隅が良い」(すみがよい)、「端が良い」(はたがよい)という意味があるようです。

 

八幡神(やはたしん)は「真福八端」の「中心」である「転輪聖王」で、皇極天皇に当たります。

 

蜂は8の字を書くよう飛ぶ習性があり、無限を表すウロボロスの輪を意味し、神道神事の大祓(おおはらえ)の「茅の輪潜り」(ちのわくぐり)は8の字を書くように3回くぐります。8✕3=24で天智天皇を第24代天皇の仁賢天皇(にんけんてんのう)

 

秦河勝が建てた広隆寺(こうりゅうじ)は元々は蜂岡寺(はちおかでら)と呼ばれ、皇極天皇と天武天皇の母子を弥勒菩薩に見立てているようです。

 

ヨハネの福音書1章1節~5節では神と共にある「イエス様」を「言葉」(ロゴス)と位置づけ、「命」であり、「光」であると続きます。

 

「阿弥陀如来」の二つの名前である「無量寿」(むりょうじゅ)=「永遠の命」(トマス)と「無量光」(むりょうこう)=「永遠の光」(イエス様)はキリスト教の「死」と「復活」を結ぶ「愛」(マナ)=「慈悲」(じひ)を意味するようです。

 

現在のトルコのディヤルバクルという街は、昔は、アルメニアという国の領土でティグラナケルトと呼ばれる首都がありました。

 

それがローマ帝国時代にはアミダと呼ばれ、アラブ人に征服されてからはアーミドと呼ばれ、オスマン帝国に征服されてからは現在の名前となります。

 

阿弥陀如来の「阿弥陀」(あみだ)とはこのトマスの居た「アミダ」がルーツのようです。

 

ディヤルバクルの中心にイスラム教のモスク「ウル・ジャーミー」が建っていますが、元々は「聖トーマス教会」が建っていた場所で、そこから南西に進んだ場所に「聖母マリア教会」があり、「トマス」は「聖母マリア様」に吸収された形になります。

 

現在、EUにトルコが参加したい意思を示しても、EU牽引国のドイツが「アルメニア人の虐殺」をトルコが認めない限りはEUには参加させない意向です。

 

トルコ側はイスラム教の支配の中、アルメニアがロシアと結んで戦争となったので、虐殺などと一方的なものではなく、トルコ側にも同じぐらいの死者が出たと主張しますが、EUは納得していません。

 

EUはキリスト教国家の連合体と言っても過言ではなく、虐殺を認めて謝罪しないつもりならキリスト教の仲間に入れるつもりはないようです。

 

この三日月を象徴するイスラム教の国がキリスト教の仲間に入る事も人類が平和へと近付いていく第一歩だと私は思っています。

 

EUがトルコの参加を恐れる理由がもう一つあります。

 

EUの欧州議会の議席は人口に合わせて配分される事になっており、現在、ドイツがEU最大の人口8000万人の国なのですが、トルコも人口が多く7000万人の議席を獲得する形となる為、ドイツに次ぐ発言権を持つ国になる為です。

 

ドイツ以外の他の国も黙っているわけもなく、当然、反対の意思を示すわけです。

 

それらを全てクリアする為にはEU側にメリットを提案して、議席の数を減らしてでも参加するべきで、少しづつでもルールを変更していくしかないようです。

 

かなりの根気と努力が必要になり、EUの前身であるEEC(欧州経済共同体)が存在した1963年から参加を希望していたトルコがいまだに加盟が出来ていない理由になります。

 

また、トルコ側も政治家によってはキリスト教国に媚びを売ってまで参加する必要はないと強硬な姿勢をとるタカ派の政治家もおり、一筋縄ではいかない現状があります。

 

ディヤルバクルは現在、クルド人の住む地域となっていて、第一次世界大戦に敗戦したオスマン帝国がサイクス・ピコ協定に基づきイギリスとフランスにトルコ、イラク、イラン、シリア、アルメニアの五か国に解体され、クルド人は国を失い、それぞれの国の少数派として存在する事となりました。

 

クルド人の宗教は「善」(良心)と「悪」(欲望)の両方の側面を持つマラク・ターウースと呼ばれる孔雀の神様を崇拝するヤジディ教と呼ばれる宗教になります。

 

この国を持ちたいと願うクルド人に武器を持たせて、イスラエルとアメリカが戦略的に利用している現状があり、その背景には「聖戦」(ジハード)と称してテロなどを起こしかねないイスラム教国家を平和な民主主義国家に変えようと画策するネオコン(新保守主義)の影が見え隠れします。

 

テロは確かに脅威ですが、軍需産業と深く結び付いている所に問題があり、平和な目標の為の手段が戦争だというところが危険な部分だと思います。

 

「剣を取る者は剣で滅びる」(マタイの福音書26章52節)というイエス様の言葉があるように武力による手段は結局は自分自身を滅ぼす事になりかねないように私は思います。

 

しかも、ユダヤ教やイスラム教ほど政教分離の難しい宗教もなく、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教が複雑に絡み合ったとても難しい問題でもあります。

 

「復活祭」の一週間前の日曜日を「棕櫚(ナツメヤシ)の主日」と呼びます。

 

「椰子」(ヤシ)が熱帯に生息するのに対して、「棕櫚」は寒帯に生息するので日本に多く存在しています。

 

現在、「亀の子束子」(かめのこたわし)の原料は「椰子」の樹皮の繊維(パーム)で作られますが、元々は「棕櫚」の樹皮の繊維で作られていて、弘法大師、空海が唐より「棕櫚」の種を持ち帰り、和歌山県野上谷に植えたのが始まりとされます。

 

「ナツメヤシ」の「実」(デーツ)を材料とした広島県の「オタフクソース」の「オタフク」(お多福)は日本の「お面」の事ですが、天細女命(あめのうずめのみこと)や、推古天皇を表す言葉で、「阿亀」(おかめ)とも呼ばれます。

 

オタフクさんホームページ

 

推古天皇と皇極天皇の「狭間」(はざま)=「マナ」を象徴する浅間大社(せんげんたいしゃ)の神職は和爾氏(わにし)を祖とする「富士氏」(ふじし)ですが、この「棕櫚」を神紋としていて、「棕櫚」は「神の依り代」だそうです。

 

富士山について詳しく書かれたホームページがありましたので、こちらも紹介させていただきます。

 

フジレキシさんのホームページ

 

天狗を祀るお寺は天狗が持つとされる風神の「羽団扇」(はうちわ)=「葉団扇」(はうちわ)を幕紋としている場合が多いですが、ほとんどの場合「棕櫚紋」(しゅろもん)で、天狗は猿田彦大神(藤原鎌足)を指す事から「忌部氏」と「藤原氏」を結び付ける意図があるようです。

 

「棕櫚紋」の葉の数は、「9」(皇極天皇)、「11」(蘇我倉山田石川麻呂)、「13」(藤原鎌足)、「17」(遠智娘)枚とパターンがありますが、「11」が一番多いようです。

 

「11」は第11代天皇の「垂仁天皇」(すいにんてんのう)で「お稲荷さん」(十一面観音菩薩)になります。

 

「生命の樹」のセフィロトがダアト(鏡)を含むと11個になるので、十一面観音菩薩は「生命の樹」を表しているとも言われます。

 

「17」は推古天皇の「稲」(いな)=「否」(NO)表しますが、第17代天皇の履中天皇(りちゅうてんのう)を指し、推古天皇の「履」(くつ)の中という意味があり、「蘇我氏」と「葛城氏」(かつらぎし)を「秦氏」に橋渡しした持統天皇の母親の「遠智娘」(おちのいらつめ)=「葵紋」(あおいもん)を指すようです。

 

「アシェル族」の「オリーブの樹」は「生命(ナツメヤシ)の樹」(マナセ族)の代わりで、「ガド族」の「天幕」は「智恵(葡萄)の樹」(エフライム族)の代わりなのかもしれません。

 

私は「アシェル族」は天武天皇の「凡海氏」(おおあまし)であったのではないかと思います。

 

高向玄理(たかむこのくろまろ)は架空の人物で天武天皇の事を表していて、「魏」の文帝の末裔であったのはおそらく天武天皇の方ではないかと思います。

 

魏志倭人伝に「魏」の皇帝が卑弥呼に「銅鏡」を100枚下賜したと記述があります。

 

「魏」の曹氏は「周」の武王の子孫で、「銅鏡」の鋳造は「周」で始まったものとされ、「羌」(きょう)と同族になります。

 

「ガド族」(佐伯氏)は「ダン族」(物部氏)の後継者なので、「エフライム族」(蘇我氏)は「ダン族」(物部氏)に習合する形になります。

 

「オリーブ」は日本では使用方法や、見た目が似ているインドシナ原産の「橄欖」(かんらん)として知られるようになります。

 

オリーブ色の「橄欖石」(かんらんせき)は宝石の「ペリドット」の事で変質すると「蛇紋石」(じゃもんせき)になります。

 

兵庫県北部の但馬地方の養父市(やぶし)に、この地の「蛇紋岩」(じゃもんがん)を削る「八木川」(やぎがわ)が流れていて、マグネシウムとカリウムを含む土壌を作り、その地で作られたお米を「蛇紋岩米」(じゃもんがんまい)と呼ぶそうです。

 

「妙見山」(みょうけんさん)と「八木川」の関係は「蘇我倉山田石川麻呂」と「皇極天皇」の関係と似ています。

 

「アシェル族」はアシェルの5人の子供「イムナ族」、「イシュビ族」、「べリア族」、「へベル族」、「マルキエル族」の5氏族からなります。

 

私は「アシェル族」の五人の子供は、「匈奴」(きょうど)、「鮮卑」(せんぴ)、「羯」(けつ)のモンゴル系と、「氐」(てい)、「羌」(きょう)のチベット系の遊牧民族の「五胡」(ごこ)を当てはめたのだと思います。

 

「アシェル族」が後を継ぐ天照大神(秦氏のマナセ)の「三倉(さくら)」=「桜」と、「ガド族」が後を継ぐ素戔嗚尊(蘇我氏のエフライム)の「五弁の花びら」=「五芒星」(星)を表しているのかもしれません。

 

そして、この「3」と「5」を足した「8」は「八岐大蛇」(やまたのおろち)の「物部守屋」や、「八咫烏」(やたがらす)の「蘇我倉山田石川麻呂」、そして「八尋鰐」(やひろわに)の「皇極天皇」、「八幡神」(はちまんしん)の「本来は天武天皇」など、日本を象徴する「大八州」(おおやしま)、みんなを表す「8」で、「猿田彦大神」(藤原鎌足)=武内宿禰(たけうちすくね)の「翁」(おきな)であり、「申」(さる)の方位になります。

 

東寺の「八嶋殿」(やしまでん)は大己貴命=「蘇我倉山田石川麻呂」を祀る社ですが、「天武天皇」の意味も含んでいて、2体の「鳳凰」である「椰子」(やし)の「間」(マナ)=「椰子間」(やしま)の意味があるようです。

 

「八嶋殿」は西を向いていて「八嶋殿」を拝むとその東に「五重塔」があり、弘法大師空海が唐より持ち帰った「仏舎利」(ぶっしゃり)が納められています。

 

「五重塔」の東の壁面には光明皇后を表す「阿閦如来」(あしゅくにょらい)が描かれていますが、本当は浄瑠璃世界の「薬師如来」=イエス・キリストの意味が隠されているものと思われます。

 

「アシェル族」は天武天皇が崩御した後は皇極天皇が代表となるようで、皇極天皇を神格化した息長帯比売(おきながたらしひめ)の神功皇后(じんぐうこうごう)の「息長氏」(和爾氏)が代表になるようです。

 

「息長氏」は「都怒我阿羅斯等」(つぬがあらしと)=「角がある人」(鹿)の子孫で「羌族」(きょうぞく)を意味します。

 

「アシェル族」の五人の子供は、春日氏、大宅氏、小野氏、粟田氏、柿本氏が代表的な氏族ですが、後に壱比韋氏、大坂氏、阿那氏、多紀氏、羽栗氏、知多氏、牟耶氏、都怒山氏、飯高氏、壱師氏、淡海氏など16氏族の祖として繁栄します。

 

「ガド族」の「未」(7)と「アシェル族」の「申」(8)の方位は「大日如来」(だいにちにょらい)の方位だとされます。

 

ソロモン王の言葉とされる旧約聖書の「箴言」(しんげん)24章16節の「神に従う人は7度倒れても起き上がる」は禅宗の達磨大師の「七転び八起き」であり、キリスト教の「死」と「復活」を意味するようです。

 

「アシェル族」の「星」を表す五人の子供ですが、オリオン座のギザのピラミッドに対して天の川のナイル川を象徴するようです。

 

「天の川」=織姫の織った「五色の短冊」=「絹」を表します。

 

インド神話に「タ―ラ―」と呼ばれる女神がいます。

 

「地球」や「大地」を意味する「テラ」は「タ―ラ―」と同じ意味だと思われます。

 

おそらく、ラケルがラバンの家から持ち出したとされる偶像「テラピム」も、「タ―ラ―」だと思われます。

 

「タ―ラ―」は「タタラ」であり、大地の金属を加工する「製鉄」を意味するのかもしれません。

 

仏教では16歳の少女の女神で「多羅菩薩」(たーらぼさつ)と呼ばれ、「観音菩薩」(かんのんぼさつ)の「目」から生まれた「涙」の女神とされます。

 

「観音菩薩」の左目からは「緑多羅菩薩」(みどりたーらぼさつ)が、右目からは「白多羅菩薩」(しろたーらぼさつ)が生まれたとされます。

 

エジプトでは左目は「月」を表し、右目は「太陽」を表しますが日本では逆で左目が「太陽」で、右目が「月」になっています。

 

この他に「黄多羅菩薩」、「赤多羅菩薩」、「青多羅菩薩」の三色がいて、全部で五色の「多羅菩薩」が存在します。

 

「タ―ラ―」はサンスクリット語で「織物」を意味し、「絹」を表しているものと考えられます。性欲を肯定する事から「タントラ密教」も生まれました。

 

この「多羅菩薩」ですがルーツはエジプトの「ネフティス」にあるようです。

 

「タ―ラ―」の子供に「知恵者」を意味する水星を神格化した「ブダ」と呼ばれる神様がいます。

 

後に「目覚める者」を意味する仏教の「ブッダ」(仏陀)の語源になります。

 

この神様がエジプトでは「アヌビス」に当たります。

 

「ナイル川」は世界で最も長い川で、ヴィクトリア湖から流れる川を「白ナイル」、エチオピア高原から流れる川を「青ナイル」、それがスーダンのハルツーム付近で合流し、「ナイル川」としてエジプトに流れ込み、「大三角州」(デルタ)を作ります。

 

私は「多羅菩薩」は「ナイル川」を神格化した神様だと思います。

 

エジプト人は「ナイル川」が増水し氾濫すると肥沃な「黒い土」が土地に流れ込み、植物が育つために、それを利用して灌漑農業を営むようになりました。

 

「アヌビス」が黒いのは「土」を表しているのかもしれません。

 

ヘロドトスはそれを「エジプトはナイルの賜物」と表現しました。

 

この「ナイル川」の氾濫ですが、「7月」の明け方の東の地平線に「シリウス」がひときわ輝く時に決まって起こりました。

 

「シリウス」は太陽の次に明るい大犬座(おおいぬざ)の恒星(こうせい)で、「イシス」の化身として「水の上の星」を意味する「ソプデト」という雌犬の女神として信仰されたと言われます。

 

オリオン座は通常、「オシリス」とされ、オリオン座の「三ツ星」は「三人の王者」と言われ、イエス様の誕生を知らせた「東方の三賢者」=「ベツレヘムの星」と呼ばれます。元々は海神ポセイドーン(素戔嗚尊)の子供で天武天皇を意味していたのかもしれません。

 

オリオンを殺したとされる「さそり座」は中国では「青龍」だとされます。

 

日本ではオリオン座は「三つ星」を囲む「四つ星」の計「七つ星」を「鼓星」(つづみぼし)と呼び、「太鼓」(たいこ)の宗像三女神を表すようです。

 

そしてイエス様の誕生日12月24日のクリスマスに「三ツ星」と「シリウス」そして「太陽」が一直線上に並ぶと言われます。

 

「シリウス」はオリオン座の「ベテルギウス」と小犬座の「プロキオン」と共に「冬の大三角形」を形成するので、「ソプデト」のヒエログリフは「△」で表されます。

 

日本では「△」は鱗紋(うろこもん)と呼び、「蛇」の鱗だとされます。

 

ナイル川の「大三角州」であり、「三輪」(みわ)=宗像三女神の「阿弥陀如来」(あみだにょらい)を表しているのかもしれません。

 

「阿弥陀如来」は京都府木津市の浄瑠璃寺の九体阿弥陀如来や、平等院鳳凰堂の九品来迎図など、「9」とも関係が深く、九を保つ「九保」(くぼ)の意味があるようで、大阪市天王寺区勝山に鎮座する久保神社(くぼじんじゃ)に「熊野大神」(素戔嗚尊)と「稲荷大神」(月読命)と共に「天照大神」(阿弥陀如来)として祀られているようです。

 

「九」は「西」である「酉」(とり)の方位になり、「鳳凰」を表している為と思われます。

 

推古天皇が「九頭龍大神」(くずりゅうおおかみ)として「八岐大蛇」と習合させられ、聖徳太子の弟の「来目皇子」(くめのみこ)=久米氏(くめし)となるようです。

 

「阿弥陀如来」も「観音菩薩」(かんのんぼさつ)と「勢至菩薩」(せいしぼさつ)を従える形で、「阿弥陀三尊」として祀られ、「3」の意味を持つようです。

 

素戔嗚尊である熊野権現の後継者として家都美御子神(けつみみこのかみ)という別名もあります。

 

「9」は一桁の数字の中で一番大きい数字なので、「3」(蛇)と「6」(亀)を含む「9」(玄武)=「弥勒」(みろく)で、「久保」(くぼ)は「窪」(くぼ)で、大きな「器」(うつわ)=「マナの壷」の意味もあるのかもしれません。

 

「聖徳太子」もまた、母の「穴穂部間人皇女」(あなほべのはしひとのひめみこ)と妻の「膳部菩岐々美郎女(かしわでのほききみのいらつめ)の三人が祀られます。

 

「聖徳太子」(天智天皇)は釈迦如来、「穴穂部間人皇女」(皇極天皇)は阿弥陀如来、「膳部菩岐々美郎女」(天武天皇)は薬師如来に該当し、「阿弥陀如来」と「聖徳太子」は浄土真宗によって一つに結び付きます。

 

「シリウス」が最も輝く「7月」は、琴座の「ベガ」(織姫)と鷲座の「アルタイル」(彦星)と白鳥座の「デネブ」(カササギ)で「夏の大三角形」を形成します。

 

白鳥は日本武尊(やまとたける)の象徴で、「七夕」に天の川に重なる為、「ベガ」(織姫)と「アルタイル」(彦星)の橋渡しをすると考えられたようです。

 

白鳥座は「北十字星」とも呼ばれます。

 

エジプトのミイラ作りには時間が掛かるのですが死期70日以内に完成させるという原則があったそうです。

 

それは「シリウス」が地平線に隠れて見えない日数と重なるそうで、「シリウス」は「復活」を表しているのかもしれません。

 

旧約聖書の話に戻りますが「アシェル族」はイエス様の誕生を祝福した女預言者の「アンナ」の氏族になるそうです。

 

「ガド族」、「アシェル族」は共にレアの女奴隷のジルパが産んだ子供になります。

 

「七」は「太陽」(金)の象徴であり、「エジプト」(牛)=「アピス」の象徴でもあります。

 

モーセが北イスラエル王国の人々が異教の神の「金の仔牛」を拝んだ事に怒りますが、これは「ホルス」を指していて、エジプトを崇拝する意味が含まれていたのではないかと思います。

 

ヨセフの解いたファラオの夢は創世記の29章20節に書かれているヤコブがラバンの娘のラケルと結婚する為に費やした「七年の労働」とも重なります。

 

「七年の労働」をこなしたにも関わらずラバンから与えられたのは姉の「レア」(牛)で、妹の「ラケル」(鹿)も妻にする為には更に「七年の労働」を求められました。

 

「レア」は南ユダ王国のユダ族=ユダヤ人を生み、ラケルは北イスラエル王国のヨセフ=日本人を生みます。

 

日本の神話では天皇家は姉の「磐長姫」(いわながひめ)=「桃」は貰わずに「妹」の「木花咲耶姫」(このはなさくやひめ)=「桜」だけを貰う形に変えられています。

 

「肥えたものを痩せたものが食べる」という例えは、おそらく「太陽」(桃)を「月」(桜)が食べる「日食」を表しているものと私は思います。

 

 

天岩戸(あまのいわと)に天照大神が隠れて、出てくるのと同じ意味です。

 

そこから生まれるものは「新しい生命」であり、「未来」です。

 

「七つの穂」はユダヤ人がシンボルとする「メノラー」=「生命の樹」であり、日本の「鹿の角」を表す「七支刀」(しちしとう)と同じ意味があると思います。

 

イスラエル国の国章は「メノラー」を24枚の「オリーブの葉」が囲む絵柄になっています。

 

「メノラー」は「アロンの杖」と同じ「アーモンド」の樹で、モーセのセム(アジア人)に対してアロンはヤペテ(白人)で、キリスト教を象徴するケルト人の「鹿の角」だと思われます。

 

キリスト教の本質は「生命の樹」の「隣人愛」で、「父と子と聖霊」の三位一体を「結ぶもの」で、本来は「父と子と母」の「母」が「聖霊」に置き換わっています。

 

アダムとイヴの女性であるイヴが「蛇」に唆された「罪深い存在」として「母」が消されて「聖霊」が加えられ、「聖母マリア」に受胎告知した「天使」の「ガブリエル」もただの「神の使い」であり、神そのものである「聖霊」とは別物とする考えも、「聖母マリア」がそこに該当するからだと考えられます。

 

人類が「永遠の生命」を手に入れるには「父と子と母」の「愛」と、「他人」を「自分」と同じ存在と認める「隣人愛」=「鏡」の思考が必要だと思います。

 

そして、その「隣人愛」のメノラーに火を灯す「油」が「オリーブ」であり、「聖霊」になります。

 

「オリーブ」は「アシェル族」のシンボルで、申命記33章24節で語られる子供達の中で「アシェル族」は兄弟たちにも愛される最も祝福された幸福な氏族になるという予言を表すようです。

 

油を足に注ぐのではなく、足を油に浸すほどの幸福で、富を受ける豊受(とようけ)の氏族で、「ダン族」を中心とした現在の天皇家や、16氏族を祖とする日本国民を意味するようです。

 

私は「アシェル族」の「オリーブの樹」は、「智恵の樹」と「生命の樹」に次ぐ「第三の樹」で「結びの樹」、「均衡の樹」、「平和の樹」だと思います。

 

「仏教三大聖樹」というものに、お釈迦様の

 

「誕生」を表す「無憂樹」(むゆうじゅ)

 

「成道」(じょうどう)を表す「菩提樹」(ぼだいじゅ)

 

「涅槃」(ねはん)を表す「沙羅双樹」(さらそうじゅ)

 

の三つがあります。

 

「オリーブの樹」は「無憂樹」に当たるものと思います。

 

「無憂樹」はマメ科の植物で、別名を「阿輸迦の樹」(あしょーかのき)と言い、古代インドで仏教を守護した「アショーカ王」の「平和」を表します。

 

「雑阿含経」の23巻に、「徳勝童子」と「無勝童子」の二人が砂(沙)遊びをしていて、そこへお釈迦様が通ると、「徳勝童子」が「砂(沙)団子」をお釈迦様に差し出し手を合わせて拝んだのを見て、お釈迦様が「この子は私が亡くなってから100年後に転輪聖王(てんりんじょうおう)となるだろう」と予言をして、この二人の童子が、古代インドのマウリヤ朝の王様の頻頭沙羅(ビンドゥサーラ)の子「無憂」(徳勝童子)と「離憂」(無勝童子)として生れ、予言通りになったとされます。

 

「転輪聖王」は「輪」(チャクラ)=「エペソ」の王様を表し、インドの国旗の中央に配されるマークや、仏教のシンボルの「法輪」(ほうりん)になります。

 

「輪」は八正道(はっしょうどう)というお釈迦様の教えを指し、それが人から人へと伝わる事を「転がる」事で表しています。

 

不動明王(天智天皇)に仕える「矜羯羅童子」(こんがらどうじ)は七番目の童子で、「マナセ族」(秦氏)を率いる「皇極天皇」を表し、「制多迦童子(せいたかどうじ)は八番目の童子で、「エフライム族」(蘇我氏)を率いる「天武天皇」を表していて、「転輪聖王」を皇極天皇と天武天皇の「八幡神」(やはたしん)に例えているようです。

 

「アショーカ王」は「馬」の「戦車」で攻撃してきたアレキサンダー大王を「象」の「戦車」で迎え撃ち、見事、撃退したインドの王様になります。

 

「聖天」(しょうてん)はガネーシャという「象」の神様で「夫婦の愛」を表す「二頭の象」=シヴァとパールバティーが抱き合った「歓喜天」(かんぎてん)という仏様でもあり、「子は鎹」の「皇極天皇」を表します。

 

「転輪聖王」であり、「天武天皇」に変って八幡神の中心的な存在となる天皇です。

 

「成道」(じょうどう)を表す「菩提樹」(ぼだいじゅ)は、お釈迦様が悟りを開いた樹で「智恵の樹」を指し、クワ科イチジク属の植物で、インドではアシュバッタあるいはピッパラと呼ばれる樹です。

 

イチジクの樹は他の樹に絡まる姿が蛇のように見える事から、蛇が絡みついた「生命の樹」のエデンの園の物語が生まれたのかもしれません。

 

シヴァ(大国主命)が首や、腕に何重にも絡ませた「数珠」(じゅず)は「菩提樹の実」だと言われ、シヴァの樹と言われるクワ科の植物「ガジュマル」=「絞め殺しの樹」も、「仏陀の樹」と言われます。

 

最後の「涅槃」(ねはん)を表す「沙羅双樹」(さらそうじゅ)は、平家物語の「沙羅双樹の花の色」=「白」で有名ですが、フタバガキ科の植物で「白」の細かい花を無数に咲かせる様が「鶴の群れ」を想わせ、「鶴林」とも表現されたりします。

 

「沙羅」(さら)は真っ白な着物を表し、白い「雪」や「塩」を意味するようです。

 

お葬式を表す「白菊」の「菊理媛」(きくりひめ)=推古天皇や、藤原鎌足の「白髭明神」の白山信仰になります。

 

仏教の「涅槃」とは「死」ではなく、生死の「輪廻」(りんね)を超えた「解脱」(げだつ)であり、キリスト教の「永遠の命」(生命の樹)=「慈悲の樹」に当たります。

 

本来は「マナセ族」で不老不死を夢見た「忌部氏」(秦氏)になります。

 

「オリーブ」はギリシャ哲学を生んだ首都アテネの守護神アテナを象徴する樹でもありますが、原産地は小アジアで、フェニキア人がギリシャへ伝えたと言われています。

 

出エジプト記の3章14節でモーセが最高神ヤハウェに名前を尋ねた答えが「אֶהְיֶֽה אֲשֶֽׁר אֶהְיֶֽה」(エフエ アシェル エフエ)で、普通に訳すと「私はあなたを幸福にする」ですが、アシェルは関係代名詞で「私は有りて在るもの」という哲学の「存在論」のような意味になるようです。

 

英語で書くと「I am that I am」で「私は私である」になります。

 

存在論」は突き詰めていくと、「不思議の国のアリス」の続編の「鏡の国のアリス」の「白騎士」の「歌の名前」のようになんの意味も持たなくなり、結局、在るのは「鏡」(他人)を見ている「自分」だけで「名前」はただの「飾り」という事になります。

 

「メノラー」(生命の樹)を象徴する「七支刀」はラケルの女奴隷の子ビルハが産んだ「ダン族」(蛇の物部氏)と「ナフタリ族」(鹿の藤原氏)=百済の王族の「友情の証」を指します。

 

当初、子の出来なかったラケルは「ダン」と「ナフタリ」を自分の子と主張しました。

 

「ナフタリ族」の領地であるナザレでイエス様は布教を行い「ナフタリ族」のシンボルの「鹿」がサンタクロースの「トナカイ」としてキリスト教と結び付きます。

 

「ダン族」は「裁き」=「裁判官」(閻魔大王)を意味し、右手には「剣」を持ち、左手には「天秤」を持つ姿で表されるようで、日本では「剣」と鳥獣を捕らえる「羂索」(けんさく)を持つ「不動明王」(天智天皇)の姿が思い浮かびます。

 

「剣」は「俱利伽羅剣」(くりからけん)と呼ばれますが「ケルビム」が持つ「炎の剣」なのかもしれません。

 

キリスト教では「ミカエル」(素戔嗚尊)が「剣」と「天秤」を持つ姿で描かれます。

 

「てんびん座」は「乙女座」(聖母マリア)の隣にあるので、「乙女座」の持ちものだとも言われますが、元々は「さそり座」の「鋏」(ハサミ)の部分で、それが独立した星座となったもののようです。

 

ヤコブの12氏族の話に戻りますが、「水」がシンボルの「ルベン」は父のそばめビルハと姦淫の罪を犯し、長子の権利を失い、代わりに「ヨセフ」が長子の権利を受ける事になります。

 

天の岩戸から出て来た皇極天皇は春日大社の神様で、私は本来は「息長氏」は「宝舟」のヤコブの第10子の「ゼブルン族」だと思っています。

 

京都市左京区にある「貴船神社」(きふねじんじゃ)で、推古天皇の沈む「磐船」(いわふね)に対して浮く「木船」(きふね)を表していると思います。

 

「岩船寺」(がんせんじ)から「浄瑠璃寺」(じょうるりでら)を結ぶ「当尾の里」(とおののさと)は、「推古天皇」と「天武天皇」を結び付ける「磨崖仏」(まがいぶつ)の里で、本物ではない偽物の「紛い物」(まがいもの)の意味が含まれているものと思われます。

 

しかし、手塚治虫の漫画「火の鳥」の鳳凰篇に登場する我王(がおう)の彫った「無名の石仏」のように、実は富や権力とは関係なく、人を救いたい、罪滅ぼしをしたいという「願い」を籠めた「紛い物」の方が「本物」なのかもしれません。

 

皇極天皇はヒンドゥー教では鰐のクベーラ=「多聞天」(聖徳太子)を眷属に持つガンジス川の女神のガンガーであり、仏教の「聖天」さんに当たり、「男女の和合」の神様だとされます。

 

同じくヒンドゥー教の川の女神のサラスバティー=「弁財天」は元々は持統天皇を表していたようですが、天武天皇に嫁いだ為に一旦、白紙に戻し、その後、天武天皇(聖武天皇)と藤原氏(光明皇后)の血を引く孝謙天皇(こうけんてんのう)を「弁財天」に充てようとしたようですが、子供に恵まれず、こちらも皇極天皇が担当する事になったようです。

 

ガンガーの姉がヒマラヤ山脈を神格化したパールバティーで豊受大神に当たります。

 

「ゼブルン族」は「ロバ」の「イッサカル族」と共に語られる事の多い部族で、「イッサカル族」は蘇我倉山田石川麻呂の「土師氏」(はじし)を表すものと思います。

 

「土師」(はじ)は「士師記」(ししき)の十二人の「士師」(しし)=「獅子」(しし)を意識して付けられた名前なのかもしれません。

 

「物部氏」の「龍神」(りゅうじん)=「ナーガラージャ」に対して「秦氏」の「獅子神」(ししがみ)=「バロン」になります。

 

「バロン」は善神で「ランダ」(鬼子母神)という悪神と表裏一体で、シヴァの妃であるパールバティーの前世の姿とされるサティ―や、パールバティーの攻撃的な側面のドゥルガーと同一神だとも言われます。

 

  イスラエル国の国章(メノラー)

 

「ダン族」はラケルを象徴する長老的な存在となり、ヤコブの兄のエサウと結び付いて「ヨセフ」と共に北イスラエル王国を率いていったのだと思われます。

 

想像になりますが、創世記35章にヤコブがカナンの地に戻った時にビルハは子供達と共にヤコブの双子の兄のエサウに紹介したと記されていて、ラケルの女奴隷ビルハとはエサウの血を引く女性だったのではないかと私は思います。

 

ちなみにナザレとは「ナフタリ族」の領地であり、イエス様のシンボルが「鹿」なのも偶然ではないようです。

 

エッセネ派は祈りや瞑想を通して「天使」と交信する事を目的としていて、この「岩窟の聖母」で描かれている天使は洗礼者ヨハネの守護天使とされるウリエル(土)か、聖母マリア様の守護天使のガブリエル(水)のどちらかではないかと言われています。

 

人間の内面に「天使」(良心)と「悪魔」(欲望)が存在していて、祈りと瞑想により、「良心」の声に耳を傾ける事が「聖」であり、母よりいただいた肉体を健康に保てるという事のようです。

 

反対に「欲望」の声に耳を傾ける事は「俗」であり、ベルゼブブという蠅の「悪魔」と取引をする事で、その代償に母よりいただいた肉体を病む事になるとします。

 

ベルゼブブは元々はペリシテ人の町エクロンの偶像神で、「宮殿の主」、「家の主」という意味でした。

 

「神殿」を頼るサドカイ派を念頭に置いた「信用してはいけない相手」の例えだったのかもしれません。

 

エッセネ派が活動したのは「死海」の北西にあるクムランと呼ばれる遺跡周辺だと言われます。

 

「死海」は海水の塩分濃度が約3%なのに対して、塩分濃度は約30%もあるとされ、魚が棲めない事から「死の海」と言われます。

 

イエス様とマリア様を「二匹の魚」として象徴するのは、エッセネ派=「死海」から独立した事を意味するのかもしれません。

 

クムランはユダ王朝時代に要塞が築かれたヨシュア記の「塩の町」だったと推測されます。

 

多くのミネラルを含む死海の水は「塩化ナトリウム」よりも、「水」と同じ結晶を持つ「塩化マグネシウム」が多く、皮膚病やリュウマチなどを癒す効果がある事がそうです。

 

クムランでは浄化儀式としてミクべと呼ばれる沐浴場が使用されていたようで、それらの遺跡が数多く発見されています。

 

それが洗礼のバプステマとしてキリスト教に伝わったのかもしれません。

 

洗礼は洗礼者ヨハネ以前からユダヤ人の間で行われていたそうで、主に異邦人がユダヤ教に改宗する際の儀式であったようです。

 

「水」に浸かる事で古い自分は死んで、新しい自分に生まれ変わるという意味があったようです。

 

洗礼者ヨハネは入信する者に「水」で洗礼を行いましたが、いずれ現れる「救世主」は、「火」と「精霊」で洗礼を行うだろうと言っていたようです。

 

しかし、イエス様が人々の病気を癒した本当の秘密は死海の「水」にあるのではないかと私は思います。

 

イエス様は洗礼者ヨハネにヨルダン川対岸のベタニア(アル・マグタス)で洗礼を受けたと言われます。

 

ヨルダン川は死海に流れ込む七つの川の一つです。

 

「火」は太陽神の性格を意味し、ペルシアのゾロアスター教の影響や、仏教の弥勒菩薩に該当するミトラ(ミカエル)の影響が感じられます。

 

キリスト教にとってはイエス様が「救世主」であり、「太陽」を意味するのかもしれません。

 

藤原鎌足は塩土老翁神(しおつちのおじのかみ)と呼ばれ、「塩」の神様とされ、天照大神(太陽)や月読命(月)、そして、素戔嗚尊(星)が伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が海水で「禊」(みそぎ)をした事から誕生したのも、ここから来ているのかもしれません。

 

日本人が恨みや怒りなどの過去のいざこざを不問に付す事を「水に流す」と表現します。

 

これは過去に捕らわれない新しい自分として生まれ変わる「洗礼」と極めて類似する言葉だと思います。

 

藤原鎌足(翁猿楽)は猿田彦大神(さるたひこおおかみ)と天細女命(あめのうずめのみこと)という道教の神様として秦氏を率いる形になります。

 

それはイエス・キリストを象徴する「聖」なる「徳」を持つ聖徳太子と、その右腕であった秦河勝(はたのかわかつ)です。

 

私は、この二人は藤原氏が生み出した架空の人物だと思っています。

 

「太秦」(うずまさ)とはヘブライ語で「光の賜物」という意味で、「絹」を意味します。

 

聖徳太子の「太子」(たいし)は「光の子」という意味になります。

 

京都の「太秦」にある秦氏の氏寺である広隆寺(こうりゅうじ)には二体の弥勒菩薩像(みろくぼさつぞう)が存在します。

 

この二体の違いは「宝冠」(ほうかん)と「宝髻」(ほうけい)の頭の部分です。

 

私は、「宝冠」は兜の皇極天皇で、「宝髻」は天武天皇を表しているものと考えます。

 

「宝髻」は奈良時代の貴族の女子が頭上に髪を丸く束ねた高髻(こうけい)という髪型で、薬師寺に所蔵される「吉祥天像」がこの髪型になっています。

 

しかし、男子の礼冠の意味もあります。

 

吉祥天は推古天皇の事で、薬師寺の本尊は薬師如来で、元々は「火」で燃えている薬王菩薩(やくおうぼさつ)で天武天皇を意味します。

 

薬王菩薩は仏教がイエス様を取り入れた仏様で、推古天皇を吸収する形でこの仏像を造ったのだと思います。

 

聖武天皇と光明皇后が建てた新薬師寺は、本尊の薬師如来像の「目」が通常よりも大きく造られている事で有名です。

 

これは眼病治療に功徳のある仏様として認識されていた事を物語っています。

 

「宝冠」の弥勒菩薩像は皇極天皇の阿弥陀如来(あみだにょらい)に相当するようです。

 

仏教では、インドに布教に来た復活後のイエスの弟子のトマスを神格化した仏様です。

 

道教では万物を生み出す谷神(こくしん)を「玄牝」(げんぴん)と呼び、眉間の奥の第三の目の「上丹田」(じょうたんでん)の霊妙な働きを意味すると言われますが、老子は「下丹田」(げたんでん)の女性器を宇宙の門「玄牝」と呼びました。

 

天細女命(あめのうずめのみこと)が人々に女性器を見せて笑いをとり、天岩戸を開いたとされる日本の神話を思い出させます。

 

「聖」と「俗」を分けない道教をルーツとする禅の「わびさび」も、「俗」を廃除しない独特の文化なのかもしれません。

 

禅から発生した茶道もお茶の「渋さ」や「深さ」を味わう文化です。

 

エジプト神話で「俗」に当たるのはホルスの妻「ハトホル」で牝牛の女神になります。

 

天空のプレアデス星団の七つの星は「ハトホル」の七つの姿だとも言われます。

 

イエス様の妻であったという説もある「マグダラのマリア」=「美」の女神「アフロディーテ」に該当するものと思われます。

 

それからマリアという名前の重要人物がもう一人います。

 

「クロパ(クレオパトロス)の妻マリア」です。

 

クレオパトロスとはギリシャ語で「良き父」という意味でギリシャ人と考えられ、「クロパの妻マリア」はイエス様の従兄弟の「小ヨセフとヤコブの母マリア」と同一人物だというのがカトリックの見解です。

 

小ヨセフというのはイエス様の父の養父ヨセフや、北イスラエル王国を築いたヨセフとは別人です。

 

ヤコブも、イスラエルの祖のヤコブとは別人です。

 

「クロパの妻マリア」は「聖母マリア」の姉妹になるので、エジプト神話では「イシス」の妹の「ネフティス」に該当します。

 

「イシス」が「光」(生)=「太陽」=「アテナ」だとすると、「ネフティス」は「影」(死)=「月」=「アルテミス」のような存在になり、いつも二人で行動していたようです。

 

「ネフティス」は「死」と「復活」を象徴するようです。

 

彼女の子供が「アヌビス」と呼ばれるミイラ作りの冥界の神様で、ナトロンと呼ばれる「塩」の混合物でミイラの防腐処理を行いました。

 

「ネフティス」が姉の「イシス」に化けて、その夫である「オシリス」と関係を持って生まれた「不義の子」で「ネフティス」の夫の「セト」に殺されないように「葦」の茂みに隠したと言われます。

 

太陽神ミカエル(アポロン)=「ホルス」と対をなす医学の神ラファエル(ヘルメス)=「アヌビス」のもう一つの姿だと思われます。

 

日本人はクリスマスにはケーキを食べて、お正月には神社に行って、節分には豆まきをして、あらゆる価値観や文化を受け入れます。

 

沢山の神社があり、そこで祀られている神様もそれぞれ別の神様で、何処にお参りにいこうと自由で、多神教を象徴する国だと思います。

 

それは「俗」として罪人や異邦人を退けなかったイエス様とも通じるように思います。

 

藤原氏が秦氏に道教を充てたのは、見事にキリスト教の本質を見抜いているように思います。

 

「レア」(ユダヤ人)と「ラケル」(日本人)の大きな二つの荷物の間で伏しているのが「ロバ」の「イッサカル族」で蘇我倉山田石川麻呂です。

 

「伏身」(ふしみ)の「稲」を荷った「伏見稲荷」(ふしみいなり)で、「レア」と「ラケル」の橋渡しをする人物です。

 

天神様で大物主命(天智天皇)に仕える伏した黒い「臥牛」(がぎゅう)で象徴されます。

 

「アヌビス」が「黒」で表されるのはミイラに塗る防腐処理のタールの色だとする説もありますが、私は「ホルス」が「光」(太陽)で、「アヌビス」が「闇」(月)を表しているからなのではないかと思います。

 

日本では「左」と「右」が逆になり、白い「お稲荷さん」と、黒い「八咫烏」になります。

 

「光」と「闇」が逆転しています。

 

「白」は「お米」(マナ)の色であり、「新しい命」の象徴だと思われます。

 

ラファエル(風)は魚の内臓を用い目の治療を行う「トビト記」や「エノク書」に登場し、バビロニアと関わりが深く、元々は、北極星を頼りに砂漠を旅した羊飼いのカルデア人が信仰した「星」の神様です。

 

日本では素戔嗚尊の後継者の豊受大神(とようけのおおかみ)の別名で、目の神様の「妙見」(みょうけん)さんとも呼ばれます。

 

「十戒の石板」は「律法」のユダヤ教、「アロンの杖」は「教会」のキリスト教、「マナの壷」は「糧」のイスラム教を表しているのだと思います。

 

「日本」(にほん)は「二本」(にほん)であり、自分だけではなく他人も認めるという意味が籠められているのだと思います。

 

「十戒の石板」は「八咫鏡」(やたのかがみ)であり、出エジプト記の38章の8節における「青銅の洗盤」(せいどうのせんばん)を表しているものと思われます。

 

「洗盤」(せんばん)とは神社における「手水舎」(ちょうずや)で、通常は「龍」の像の飾りなどが一般的なのですが、龍田神社では「鶏」、住吉大社では「兎」、談山神社では「鶴」など、その神社のシンボルとなる動物の像が飾ってあったりします。

 

「手水舎」は「手と口」を洗う神聖な場所であり、水による「清め」を表します。

 

イスラエルの神殿では「手と足」を洗うそうで、「手」が弓で狩りを行う「エサウ」を表し、「足」が踵(かかと)を表す「ヤコブ」を表している事から、日本では「足」が「口」に変えられたのかもしれません。

 

「八咫烏」(やたがらす)は「四つの顔」を持つ「ケルビム」が「二体」合わさった象徴で、「三つ足」は天照大神から生まれた「宗像三女神」を表しているのだと思います。

 

「八咫烏」を祀る京都の下鴨神社(しもがもじんじゃ)では7月の土用の丑の日に「みたらし祭」が行われます。

 

「御手洗川」(みたらしがわ)に「足」を浸けて「瀬織津比売命」(せおりつひめのみこと)に「罪」や「穢れ」を祓ってもらうように祈る事から「足つけ神事」とも呼ばれます。

 

おそらく、「足を洗う」という言葉は、ここから来ているものと思います。ヨハネの福音書13章にだけ書かれている弟子の足を洗おうとしたイエス様が思い出されます。

 

「瀬織津比売命」も皇極天皇の別名になります。

 

「三角縁神獣鏡」が「△」(三角)で「輪」を作っているのも「三輪」(みわ)を意味し、「△」が「三角」(みかど)=「帝」(みかど)であり、「帝塚山古墳」(てづかやまこふん)など、「帝」(てい)=「手」(て)を表しているものと私は思います。

 

日本ユダヤ教団のラビ(教師)のサミュエル・グリーンバーグという方が「ミン」がヘブライ語で「~から」という意味なので「△」(ミカド)は「カドの出身」という意味で、天皇家は「ガド族」という説を唱えていたそうです。

 

私は「カド」は「門」(かど)という意味もあるので、「△」(ミカド)は「聖」と「俗」を分けない日本のお寺の「山門」(さんもん)=「三門」(みかど)の意味もあり、「天幕」(家)の意味から「山」(ギザの三大ピラミッド)の意味が含まれているものと思われます。

 

その中身は、「ダン族」(物部氏)に「ガド族」(佐伯氏)が嫁いだ氏族だと思われます。

 

佐伯氏は大伴室屋(おおとものむろや)から分かれた氏族とされ、大伴氏(おおともし)は「呉織」(くれはとり)で紀元前585年頃から紀元前473年頃に中国の江蘇省(こうそしょう)辺りにあった「呉」(ご)という国の民族で、佐伯氏は「穴織」(あやはとり)で、紀元前600年頃から紀元前334年頃に中国の浙江省(せっこうしょう)辺りにあった「越」(えつ)という国の民族でした。

 

「呉」(ご)=「大犬座」と「越」(えつ)=「小犬座」は共に「狼」や「犬」の末裔という伝承をもっていたので、中国からは「犬戎」(けんじゅう)と呼ばれていました。

 

大月氏や小月氏も「犬戎」であり、チンギス・カンなどのモンゴル人などと同じ「蒙古斑」(もうこはん)を持つ騎馬民族(きばみんぞく)になります。

 

ユダヤ教やキリスト教、そしてイスラム教では「犬」は不浄なものとされます。

 

それは、この当時、野犬が多く、狂犬病などの病原菌を人間に感染させる恐れがあったためだろうと思われます。

 

聖書で悪く書かれる「犬」ですが、例外もあります。

 

旧約聖書外典のトビト記ではトビアスを天国まで道案内したのがトビアスの飼っていた「犬」であり、人間の「友」として語られる貴重なものです。

 

ラファエルは「善」も「悪」も、「聖」も「俗」も超越した旅人を守護する天使で、ギリシャ神話ヘルメスと同神だとされます。

 

日本では「大伴氏」(おおともし)は「大きな伴」(友)を意味し、「物部氏の友」を意味します。

 

豊受大神は「大伴氏」=「県犬養美千代」(あがたいぬかいみちよ)を神格化した神様になります。

 

 「大天使ラファエルとトビアス」 ジョヴァンニ・ジローラモ・サヴォルド(ボルゲーゼ美術館蔵)

 

「騎馬」(きば)は「牙」(きば)であり、大犬座の「口」の部分で光る「シリウス」は「狼の牙」に当たるようです。

 

天照大神の持ち物だった「八尺瓊勾玉」(やさかにのまがたま)は「牙」の形を表しているのかもしれません。

 

素戔嗚尊が持っていた「十拳剣」(とつかのつるぎ)は粉々になった無数の「星」を表しているのだと思われ、それを纏めているのが「天叢雲剣」(あめのむらくものつるぎ)で、「天の川」なのかもしれません。

 

「八咫鏡」(やたのかがみ)は「太陽」と「月」を表します。

 

最初に造られた「鏡」は傷があったとされ、和歌山県の「日前神宮・國懸神宮」に祀られ、もう一つは「伊勢神宮」に祀られます。

 

そして崇神天皇(すじんてんのう)の時代に「伊勢神宮」の「八咫鏡」と同じものをもう一つ造り宮中に祀ったとされ合計では三枚になります。

 

おそらく、傷があったものが「星」(素戔嗚尊)で、傷のない方が「太陽」(天照大神)と「月」(月読命)を表していたのでしょうが、二つだと傷のある方が「太陽」か「月」になってしまうので「太陽」と「月」を分けて、三つにしたものと思われます。

 

三種の神器についてはこちら

 

この「呉」の「狼」と「越」の「犬」に、蘇我氏の「鶏」の「楚」(そ)を加えたものが「楚越同舟」(そえつどうしゅう)、「呉越同舟」(ごえつどうしゅう)の「三越」(みこし)であり、オリオン座(オシリス)のベルトである「神輿」(みこし)になるようです。

 

古事記には大国主命(ガド族)が国造りに困っていると、海の上を歩いて近寄って来る「光」(太)の神様がいて、「私の神霊を三輪山の頂上に祀れば国造りを助けてやろう」と言ったとされ、それが大物主命(天智天皇)(ダン族)だと思われます。

 

「光」は大物主命(火遠理命)の「水」(親)=「和魂」(にぎみたま)で「丸」を表し、その中に「奇魂」(くしみたま)と「幸魂」(さきみたま)の二つの魂があるそうです。

 

元々は「奇魂」(くしみたま)は櫛稲田姫(くしいなだひめ)=皇極天皇で、「幸魂」(さきみたま)は素戔嗚尊=天武天皇で、素戔嗚尊は古事記の後半の「泣きじゃくる暴れん坊」ではなく、前半の「八岐大蛇を退治した英雄」で「救世主」だったのかもしれません。

 

櫛稲田姫を「湯津爪櫛」(ゆつまぐし)に変えて自分の頭に挿し素戔嗚尊は八岐大蛇と戦います。

 

「湯津」(ゆつ)は「五百個」(いおつ)と同義だとされ、天照大神の持ち物の「八尺瓊勾玉」や「菅玉」(くだたま)を緒で貫いたネックレスの「五百津之御統珠」(いおつのみすまるのたま)と同じ「五百津」(いおつ)で、「沢山」の意味があり、沢山の爪を持つ「半月型」の櫛を指します。

 

素材は黄色の「柘植」(つげ)の「木」だとされます。

 

「半月」の形には「亀」(下向きの半月)(下り藤)と、「鶴」(上向きの半月)(上り藤)の両方の意味があるようです。

 

おそらく、天武天皇は瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を自分に見立てて古事記の制作を始めましたが、途中で崩御して、代わりに天智天皇の落とし胤の藤原不比等が後を引き継ぎ、瓊瓊杵尊の兄として饒速日命(にぎはやひのみこと)を加えて「櫛」(奇魂)と「玉」(幸魂)の両方を意味する「櫛玉命」(くしたまのみこと)と呼び、「幸魂」(さきみたま)の「幸」(さい)は「三輪」(みわ)の天智天皇として「東」に祀られ、「先」(さき)=「埼玉」(さいたま)になったようです。

 

瓊瓊杵尊が天孫降臨した場所にある「天逆鉾」(あまのさかほこ)や、毘沙門天(天武天皇)が手に持つ「三戟」(さんげき)は大黒天(大国主命)の持つ「三つ又の鉾」と共に纏められ、「釵」(さい)と呼ばれる「三つ爪」の「簪」(かんざし)として「櫛」(くし)を表すようになり、「奇魂」(くしみたま)として櫛稲田姫の「西」に祀られるようになったのではないかと思います。

 

「櫛」は本来は髪を分ける事から「縁切り」なのですが、物部氏と蘇我氏と秦氏を結び付けた大国主命を祀る出雲大社は「縁結び」の神様として知られます。

 

元々は「幸魂」が「豊玉姫」(皇極天皇)の「金」(智)で「東」(青)になり「縁切り」を表し、「奇魂」が「玉依姫」(遠智娘)の「木」(愛)「西」(白)になり「縁結び」を表していたのではないかと思います。

 

「奇」(くし)は「九字」(くじ)=「籤」(くじ)であり、「悪事(凶)も、善事(吉)も一言で言い放つ神」=くじ引きの神「一言主」(ひとことぬし)を指し、「迦毛大御神」(かもおおみかみ)の別名で、雄略天皇(蘇我入鹿)の代わりのようで、蘇我氏の役を演じている蘇我倉山田石川麻呂=「下鴨神社」です。

 

桂川が「西」(白)の皇極天皇を表し、鴨川が「東」(青)の遠智娘を表すのは平安京が中国の長安にならって君主は南を向いて政治を行うという考えから、左右、東西が逆になったようです。

 

ところが、遠智娘と天智天皇の娘であった持統天皇(じとうてんのう)が天武天皇に嫁いだために、持統天皇は「狭穂姫」(さほひめ)と名前を変え、「東」(青)も「西」(白)も皇極天皇が担当するようになったようです。

 

その為に「迦毛大御神」(かもおおみかみ)の子供である「雷でさえ分ける」神様=「幸の神」(さいのかみ)の「賀茂別雷大神」(かもわけいかづちのおおかみ)=「上賀茂神社」(かみがもじんじゃ)は持統天皇ではなくなり、皇極天皇になり、結局、左右も東西も関係がなくなります。

 

「上賀茂神社」の境内の「細殿」(ほそどの)の前に二つある「立砂」(たてずな)は皇極天皇と天武天皇を意味し「賀茂別雷大神」が降臨したとされる「神山」(こうやま)を模した円錐型の盛り砂です。

 

「砂」は「石」(塞)を細かく砕いたもので、「清めの砂」=「沙」(さ)として鬼門(丑寅)と裏鬼門(未申)に撒くためのものだとされます。

 

「狭穂姫」(さほひめ)は古事記では「沙本毘売」(さほひめ)と書かれ「沙(砂)の本」(すなのもと)というわけで、素戔嗚尊である仏教の守護神の「深沙大将」(じんじゃたいしょう)の「深い砂」という意味があります。

 

素戔嗚尊は砂漠の神で、エジプト神話の悪神セトになるようです。

 

西遊記では沙悟浄(さごじょう)が「深沙大将」とされ、「砂」の神様が何故か河童の「水」の神様に代わります。

 

これは、中国では「深沙大将」が黄河の神様である「河伯」(かはく)と習合した為だと思われます。

 

日本では「河伯」は「八岐大蛇」(やまたのおろち)であり、「黄河」(こうが)流域の砂漠の砂である「黄砂」(こうさ)は「黄泉の国」(よみのくに)=不老不死を望む「仙人の国」のもので、結局は同じ物だというわけです。

 

ちなみに狭井神社(さいじんじゃ)の少彦名神(すくなひこなのかみ)は大物主命の「荒魂」(あらみたま)と言われ、蘇我倉山田石川麻呂(鵜草茸不合命)の「火」(勇)で笠間荒神(かさまこうじん)の「笠」(かさ)になり、「五輪塔」の「屋根」の部分になるようです。

 

奈良県の太陽の昇る「東」に位置する三輪山(みわさん)の頂上には狭井神社(さいじんじゃ)から登れるようになっていて、「狭井」(さい)は「狭井」(せまい)であり、マタイの福音書7章13節の「天国」へと至る「道のり」である「狭き門より入れ、細き道を歩め」を再現しているものと思われます。

 

「狭井」(さい)は「幸」(さい)であり、「塞の河原」(さいのかわら)の「塞」(さい)=「五輪塔」(ごりんとう)になります。「塞の河原」は日本の最初の瓦の使用は飛鳥寺で、中国の戦国時代の「斉」(せい)=「田斉」(でんせい)の古代瓦には「生命の樹」のモチーフが彫られていて、アケネメス朝ペルシアの影響ではないかと言われています。の「斉の瓦」(せいのかわら)の意味も含まれているのかもしれません。

 

「五輪塔」や、東寺の「五重の塔」などの「塔」(とう)はお釈迦様の「お墓」であり、大日如来の「密厳浄土」(みつごんじょうど)の「五輪」(ごりん)の「東」(とう)=「青龍」を表し、「アシェル族」(オリーブ)の五人の子孫を指すようです。

 

櫛」は、「御神籤」(おみくじ)や「阿弥陀籤」(あみだくじ)など「奇跡」の「九字」(くじ)になり、阿弥陀如来の「極楽浄土」(ごくらくじょうど)の「綺」(くし)=「絹」を意味し、「裁縫」(さいほう)の「西」(さい)=「マナセ族」(ナツメヤシ)の「鳳凰」(ケルビム)を表すようです。

 

「五輪九字」(ごりんくじ)で結局どちらも同じもの(皇極天皇)になるようです。

 

一月、五月、九月は「正五九」(しょうごく)と呼び、「五穀」(ごこく)の「種まき」(始まり)、「田植え」(中間)、「収穫」(終わり)の重要な月で「三斎月」(さんさいがつ)とも呼ばれ、神社仏閣に参拝すると良いとされます。

 

「五月」は旧暦では「皐月」(さつき)と呼び、苗代から田へ「早苗」(さなえ)を植え替える時期で、「早苗月」(さなえづき)の意味があり、ウグイスの巣に托卵(たくらん)する「ホトトギス」を「早苗鳥」(ほととぎす)と書いたりします。

 

「早苗」は天照大神=持統天皇(上賀茂神社)になる「雛」(ひな)で「稚日女尊」(わかひるめのみこと)を意味し、三氏族の橋渡しをする「遠智娘」(おちのいらつめ)=「玉依姫」(下鴨神社)を指すようです。

 

推古天皇から皇極天皇に政権が代わった事を暗示し、「皐」(さ)には「三」(さ)=「狭」(さ)の意味も含まれているようです。

 

和歌山県の吉野郡天川村にある天河神社(てんかわじんじゃ)に天細女命が天照大神を天岩戸から誘き出す為に使用したとされる「五十鈴」(いすず)と呼ばれる神器があります。

 

「三つの鈴」が繋がった「三角形」(三輪)の鈴で、それを「五十鈴」(いすず)と読むのは「五十」(いそ)が「百」(百済)の中心の「蛇」(三角)の「目」(め)を表すからかもしれません。

 

「農民」の事を「百姓」(ひゃくしょう)と呼びますが、あらゆる「姓」(かばね)を持つ全ての「万民」や「民衆」を指し、「国民」が国にとっての一番の「宝」として、大和言葉で「百姓」(おおみたから)=「大御宝」(おおみたから)と読むそうです。

 

日本のお寺の「山門」は巨大なものも多く、知恩院の「三門」、東本願寺の「御影堂門」、南禅寺の「三門」など、「狭き門」ではなく「広き門」になっています。

 

また、火葬場に行く「道」と帰りの「道」が同じ「道」だと縁起が悪いといって「道」を変える風習がありますが、浄土真宗などでは、そういった大安、仏滅、方位、方角、迷信などを一切気にしない事から「門徒もの知らず」と揶揄されて来ました。

 

「門徒」(もんと)とは「檀家」(だんか)の事で、「家」よりも「個人」に重きを置く「浄土真宗」を指した言葉で、別名を「門徒宗」(もんとしゅう)とも呼ばれます。

 

「広き門」は全ての人=「大御宝」(おおみたから)を救おうという心の現れなのかもしれず、本当に「ものを知らない」のはどちらなのかは分かりません。

 

「浄土真宗」が農民を信者として大教団へと発展したのとは反対に「禅宗」(ぜんしゅう)は武家に広がり、「真理」を何処までも追及しました。

 

どちらも「道教」(どうきょう)が根本にある「仏教」ですが「禅宗」の方は、個人が「道」を窮める「窮道」(きゅうどう)=「修行」が基本になります。

 

「武道」の神髄とは何かを「弓道」(きゅうどう)を通して学んだオイゲン・ヘリゲル氏の「弓と禅」が有名です。

 

「真理」を追究した先に見える「目的地」は、実はどの入口からで行くことの出来る「悟り」なのかもしれません。

 

重要なのは入口ではなく、道を歩む事のようです。

 

「三門」は聖都エルサレムを争うユダヤ教、キリスト教、イスラム教にも当てはまるようにも思えます。

 

浅草寺(せんそうじ)の境内にある浅草神社の神紋は「三網紋」です。

 

マタイの福音書の第13章44節には「天国」を「宝」として、様々な比喩を通して語られています。

 

「畑に隠された宝」(農民)、「真珠」(商人)、そして「魚」(漁師)です。

 

マタイの福音書第4章19節で、ガリラヤ湖で漁師だったペテロと弟アンドレにイエス様が言った「あなたたちを人間を捕る漁師にしてあげよう」という言葉は、「天国」に入れる信者を「魚」に、「伝道師」を「漁師」に、「網」を「キリスト教」に例えた言葉だとされます。

 

ヨハネの福音書のイエス様によって得た「153匹の魚」は黙示録で救われる「キリスト教徒の数」を比喩的に表しているとも言われます。

 

浅草寺の「三網」は「キリスト教」だけではなく、「全ての万民」を救おうとする意味が籠められているのかもしれません。

 

儒教では「三網五常」(さんこうごじょう)と呼び、君臣の「忠」、父子の「孝」、夫婦の「烈」の人の守るべき「道」(倫)の「三網」(さんこう)と、愛の「仁」、法の「義」、敬の「礼」、勉の「智」、誠の「信」の常に行うべき徳目の「五常」(ごじょう)を教えます。

 

儒教には「天国」や「地獄」はなく、「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」と孔子は言ったとされます。

 

「朝に人がどう生きるべきかを悟れれば、夕方に死んだとしても後悔はしない」という意味だとされます。

 

「生命の樹」は「鏡の樹」とも言われます。

 

「生命の樹」の「鏡」に映された善悪を分ける「智恵の樹」は、「死の樹」でもあるようです。

 

智恵を手に入れたアダムとイヴが寿命(死)を持ち、楽園を追放された理由でもあります。

 

カバラでは「生命の樹」は「セフィラ」と呼ばれる10個の「光の球」と、それを結ぶ「パス」と呼ばれる「道」で構成されて「セフィラト」とも呼ばれます。

 

カバラとは「エル」と「エルヨン」の二柱の神を祀る「メルキゼデク」(いと高き神の祭司)=エルサレムの王より、アブラハムが伝授された天界の秘密だとされ、秘密ゆえに、人々の空想をかきたて、神秘思想と結び付いたものと思われます。

 

「エル」と「エルヨン」はおそらく、シュメール神話の「エア」(エンキル)(山羊と魚)と「エンリル」(雄牛)の二柱の神をルーツにするものと思われます。

 

「エル」はミカエルやガブリエルなど「天使」の語尾に付く言葉で、ペルシアの「神」を表し、次第に最高神「ヤハウェ」に吸収されていく神様です。

 

「エルヨン」は後に「悪魔」とされるカナンの神「バアル」(雄牛)に該当するものと思われます。

 

「セフィラ」には「ダアト」と呼ばれる隠された「11番目の球」が存在するそうで、「智識」を表し、「神の真意」を表すそうです。

 

私は、カバラの事はよく知りませんが、他の「セフィラ」が全て「自分」の内面を示すものなのに対して、この「11番目の球」だけは「他人」を表しているように思います。

 

「悪魔」にされた「荒神」(こうじん)であり、異教徒が信仰する「異教の神」です。

 

左右、上下、全ての価値観が反転する「鏡の中の世界」=「他人の世界」で、善悪を分けていた「智恵の樹」の全てを含むものだと思います。

 

「不思議の国のアリス」という児童小説があります。

 

イギリスの数学ルイス・キャロル(本名はチャールズ・ラトウィッジ・ドジソン)が、知人のアリスという少女の為に即興で作った物語でしたが、その出来が大人が呼んでも素晴らしかった事から出版する形になり、聖書やシェイクスピアに次ぐ引用や言及の対象になっている作品だとされます。

 

「他人」を理解する為の「真理」がその根底にあるものと思われるので、いくつかホームページを紹介したいと思います。

 

「不思議の国のアリス」と脳科学

 

不思議の国より不思議な国のアリス

 

不思議の国のアリスと算数・数学ファンタジー

 

善悪を分かった上で全てを受け入れる客観的世界「第三の目」ですが、価値観の違う「他人」を受け入れる事は容易ではなく、険しくも細い道のりだと思います。

 

「右の頬を打たれたら、左の頬を差し出しなさい」というキリスト教が示す「隣人愛」が、この「セフィラ」に最も近い考え方だと思います。

 

松尾芭蕉(まつおばしょう)の「奥の細道」の最後の句として谷木因(たにぼくいん)や大垣の人々との別れを惜しむ次の句があります。

 

蛤(はまぐり)のふたみにわかれ行く秋ぞ

 

人によっては、最後の句にしては平凡すぎてあまり良い出来ではないと評価される方もあります。

 

これは「蛤」が「夫婦和合」(ふうふわごう)の象徴で、「蓋」(ふた)と「身」(み)に分かれるように「人との別れ」を意味しているのと、次の目的地である伊勢の二見浦(ふたみがうら)の「二見」(ふたみ)の意味が掛けられた句だとされます。

 

二見浦は「道祖神」(どうそしん)の猿田彦大神(さるたひこおおかみ)と天細女命(あめのうずめのみこと)を意味する「夫婦岩」(めおといわ)がある場所で、「旅立ち」を意味する場所です。

 

新たな再出発の意味がそこには籠められていて、「舟」で向かうというのも、神の「御加護」(ごかご)=「籠船」(かごぶね)に乗る事で、全ての人を救う「大きな船」を表しているのかもしれません。

 

「船頭として船の上に生涯を浮かべ、馬子として馬の轡(くつわ)を引いて老いを迎える者は、毎日旅をして旅を住処としているようなものである」という「奥の細道」の序文を思い出します。

 

蛤を貝殻から外して「生姜」(しょうが)と煮込んだものを「時雨煮」(しぐれに)と呼びます。

 

「生姜」は周利槃特(しゅりはんどく)の兄の摩訶槃特(まかはんどく)で、天智天皇を表した薬味なのですが、ここでは説明を省きます。

 

周利槃特(しゅりはんどく)についてはこちら

 

「時雨」(しぐれ)は秋の終わりから冬にかけて降ったり止んだりする「雨」(あめ)の事で、人の「涙」を意味します。

 

「時雨煮」という名前は、色々な風味が口の中を過ぎ去っていく事から、芭蕉の高弟の「各務支考」(かがみしこう)が名付けたとされ、伊勢の名物になっています。

 

「道」を歩む「旅」の風味であり、人生という「旅」を味わうという意味だと思われます。

 

善も悪もなく「他人」は自分の姿を映した「鏡」であり、同じ「神の似姿」なのかもしれません。

 

天橋立 籠神社(こもじんじゃ)