厳島神社(いつくしまじんじゃ)

 

 

 

広島県の宮島にある厳島神社にやって来ました。

 

人と神々が共に生きる島~宮島 嚴島神社

 

宮城県の松島や、京都府の天橋立と並んで日本三景と呼ばれる景色の美しい場所とされます。

 

日本三景 公式サイト

 

厳島神社は世界遺産にも登録されていて、外国からも観光で訪れる人で賑わっています。

 

海上に立つ大鳥居と、海に浮かぶ平安時代の寝殿造りの社殿がこの神社の魅力の一つで、浦嶋太郎の龍宮城とは、こういう所ではないかと思います。

 

こちらは平清盛(たいらのきよもり)の像です。

逆光で、うまく写せませんでした。

 

厳島神社は、推古天皇元年(593年)に当地方の有力豪族の佐伯鞍職(さえきくらもと)が神託を受け、社殿を創建したのに始まるとされ、平安時代末期に神主の佐伯景弘(さえきかげひろ)が平清盛の崇敬を受け、平家の氏神として大規模な社殿が整えられたと言われます。

 

源頼朝(みなもとよりとも)によって壇ノ浦の戦いで平家は滅亡しましたが、文治4年(1188年)に、頼朝に命ぜられて佐伯景弘は、壇ノ浦で安徳天皇(あんとくてんのう)と共に海中に沈んだ三種の神器の一つの天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)を捜索しに行ったとされます。

 

後鳥羽天皇も捜索を命じましたが結局、剣は発見されず、伊勢神宮の神庫から後白河法皇に献上されていた剣を形代の剣としたそうです。

 

天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)は、スサノオが八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治した時に、八岐大蛇の尾から出て来たと言われる剣で、龍神の化身とも言えます。

 

龍神は、海の底に帰って行ったのかもしれません。

 

 

この朱の大鳥居は、主柱は楠で、脇の4本は杉の「木」で出来ています。

 

四天王寺の「石」の鳥居と、金峯山寺の「銅」の鳥居と並んで、日本三鳥居の一つ「木」の鳥居です。

 

 

高さ約16mmの大鳥居は、柱が地中に埋められておらず、60トンという自身の重さで立っていると言われます。

 

木の内部には玉石という石が詰められていて、木が海上に立つという不可能を可能にしているようです。

 

明治8年の再建以来、どんな暴風雨でも倒れたことがないそうで、設計レベルの高さを伺えます。

 

 

西日で画像が黄色くなっています。

 

 

さあ、到着しました。

 

厳島神社の名前の由来は、「神を斎(いつ)きまつる=仕える」からくるそうで、市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)で有名な宗像三女神をご祭神にする神社です。

 

宗像三女神は、アマテラスとスサノオの誓約でスサノオが持っていたヤマタノオロチを切ったとされる十拳剣(とつかのつるぎ)をアマテラスが噛み砕き吹き出した息から生れたとされます。

 

アマテラスの3人の娘であり、その中の市杵島姫は、仏教の弁財天だと言われます。

 

 

床の板と板の間には、わずかな隙間が空いており、高潮の時には下から上がってくる水の圧力を弱め、水を隙間から海に流す役目があるそうです。

 

 

今は、引き潮です。

 

もっと、引き潮が進むと、歩いて大鳥居まで行けるそうです。

 


 

こちらが本殿で、日本一の大きさだと言われています。

 

海上に建っている神社にも拘らず、本殿は、創建から約840年以上、一度も浸水したことがないと言われています。

 

 

本殿から大鳥居までの直線上に、高舞台と呼ばれる舞台があります。

 

四天王寺と、住吉大社の石舞台と並んで日本三大舞台の一つとされます。

 

この高舞台が、満潮時には、「いかだ」のように波に浮く仕組みになっていて、波の力を弱め、防波堤の役割をして本殿を守っているそうです。

 

海の上に建つ神殿なんて普通、常識では考えられませんが、計算され尽くした設計で不可能を可能にしようという日本人の凄さを感じます。

 

 

ここで、豪華な衣装と面を付けた舞楽(ぶがく)という舞いが年中行事として行なわれるそうです。

 

舞楽は、平安時代に平清盛が伝えたとされ、発祥の地である中国や、インドではすでに消滅していて、約20曲が宮島に残る貴重な文化遺産となっています。

 

古いものを大切にする日本人だからこそ、生き延びることが出来た文化の一つだと思います。

 


蘭陵王(らんりょうおう)のストラップを買いました。

 

中国の南北朝時代の人物で、北斉の皇族出身の武将で、突厥が晋陽に攻めてきた時や、北周が攻めて来た時にも、これを打ち破りました。

 

優しい面貌が士気に響くのを慮り、仮面を付けて戦場に立ったという伝説を持ち、それが雅楽として日本に伝わったそうです。

 

仮面ライダーは、こういうイメージから生れたのかも…

 

 

桜の木の杓子がお札と一緒に売られていたので、こちらも購入しました。

 

宮島は、弁天さんの琵琶の形に似た杓子が有名だそうで、起源は、誓真というお坊さんが夢に見た弁天さんからだとか…

 

その後、日清、日露戦争で広島の兵隊は、出征する時に、厳島神社に武運を祈願し、「ご飯を取る⇒めしとる」で、「敵を召し取る」杓子を奉納し、無事に帰還したら、その杓子を記念に持ち帰ったことから、現在では「幸運をめしとる」縁起物として広まったそうです。

 

しゃもじの製造・販売 宮島工芸製作所