運動と入浴
人間の体は、機械とよく似ています。
使い過ぎると、消耗して、故障してしまいます。
かと言って、使わなさ過ぎると、錆びて動かなくなります。
その為、適度の運動が、寿命を延ばし、健康でいられると言います。
中国には、仏教や、儒教よりも人気がある道教と呼ばれる宗教があります。
老子を教祖とする宗教ですが、100歳以上生きる不老長寿の仙人を目指した宗教とも言えます。
他の宗教が、わりと、幸福という精神的な面に、スポットを当てているのに対して、この宗教は、健康という実利的な面に、スポットを当てているところが、特徴的です。
中国の後漢末期の伝説の医者で、華陀(かだ)という人物がいます。
道教のもう一人の教祖と言えます。
華陀
三国志で有名な、魏の曹操の典医でもあり、世界で、初めて麻酔を発明した医者とも言われています。
日本のお正月には、一年間の邪気を払い、長寿を願う理由で、お酒が、呑まれますが、この風習は、薬酒である屠蘇(とそ)を、お正月に呑むことから始まりました。
屠蘇とは、数種類の薬草を組み合わせた屠蘇散(とそさん)というものに、お酒とみりんと砂糖を加えたものです。
言わば、漢方薬と同じようなもので、この屠蘇も、彼が最初に始めたそうです。
© 大阪
神社で振る舞われるお屠蘇
また、健康でいる為に、虎・鹿・熊・猿・鳥の五つの動物の動きを取り入れた「五禽戯」(ごきんぎ)という体操をすることを提案したのも彼です。
道教では、体操のことを「導引」(どういん)と呼びます。
中国で多い、太極拳も、日本で朝に行われるラジオ体操も、彼から始まったというわけです。
体操とは、英語でいうストレッチですが、要は、筋肉を伸ばすことと、関節をまわすことの2種類です。
© Malene Thyssen
ストレッチを行う虎
人間の体は、数多くの細胞で出来ています。
その細胞に、消化した栄養素や、酸素を運んだり、細胞でいらなくなった老廃物を運び出したりするのが血液の役目です。
この血液は、体の隅々まで通っているわけですが、様々な原因によって、詰まって流れにくくなる場合があります。
そうすると、細胞に栄養や、酸素が行かなくなり、老廃物が溜まってきて、老化が加速されます。
そういった状態を回避する為に、筋肉を伸ばし、関節をまわし、外からの圧力を加えることによって、血流を正常に戻そうというものです。
筋肉を伸ばしたり、関節をまわしたりして、気持ちが良いと感じる部分が、疲労している部分です。
「自分の体の言うことに、耳を傾けてあげること」が、健康でいる秘訣だと思います。
世界中に、自分の体ほどの名医はいません。
ほとんどの人が、頭で考えて、体の発する信号には気付かずに、無理を重ねることが、病気を悪化させる一つの要因だと、私は思います。
道教のシンボルマークで、「太極図」というものがあります。
道教のシンボルマーク「太極図」
対立して見える「陰」と、「陽」が同じものだという老子の思想を表したマークです。
これは、「心」と、「体」にも同じことが言えます。
体の器官は、繋がっていて、一つの部分が故障すると、次々と別の部分も悪くなります。
そして、「体」が悪くなると、「心」も病んできます。
全ては連結していて、機械の歯車と同じように影響を与えます。
糖分を取り過ぎると、カルシウムが不足してイライラするというのも同じ理屈です。
反対に、回復に向かうと、全てが良い方向に向かいます。
話は変わりますが、道教には、「気」という概念があります。
「合気道」という言葉など、武術にも使われている言葉なので、ご存知の方も、多いはずです。
「合気道」は、相手の呼吸に合わせて技を掛ける武術です。
私は、「大気」、「空気」という言葉があるように、「酸素」と同じようなものだと思っていましたが、厳密には違うそうです。
「電気」などのように、「エネルギー」が近い存在なのかもしれません。
「気」は、赤ちゃんの状態がもっとも強く、歳をとるごとに失われていくものだそうです。
赤ちゃんのように、「気」が元の状態にあることを「元気」と言います。
反対に、「気」が病んだ状態を、「病気」と言います。
つまり、華陀のいう導引(体操)とは、この「気」の流れと、「血」の流れを良くする方法だというわけです。
また、適度な「お酒」や、「お風呂」が健康に良いとされるのは、体が温められることによって、血流が良くなるからです。
© Yosemite
温泉につかるニホンザル
「お風呂」に、「お酒」を入浴剤代わりに入れる「酒風呂」というものもあります。
経皮吸収と言って、入浴剤は、肌からも吸収されますので、色や、香りが良くても、有害化学物質の危険性のある入浴剤より、自然の「お酒」の方が、安全です。
体が温まり、尚且つ、お酒の持つ殺菌力で、腋臭、水虫などの原因となる細菌も退治してくれて、美肌効果も抜群というわけです。
元中日ドラゴンズ谷沢健一さんが、治療に行ったと言われる「酒マッサージ」というのも、「お酒」の効能を利用した治療法だと思います。
人間の汗は、体温を下げる為に、体が出すものですが、その汗に、「塩」が含まれるのは、肌で細菌が繁殖しないように、殺菌する為です。
病気の大部分は、この細菌によって引き起こされます。
中には、ビフィズス菌に代表される体に良い菌もありますが、大半は、体に害をなすものです。
風邪も、ウィルスや、細菌が原因で、本来、風邪を治す薬は存在しないと言います。
風邪薬などは、風邪の症状を抑えるだけで、その原因となる細菌に、ピンポイントで効く薬は、無いからです。
抗生物質という菌を殺す「薬」はありますが、体に良い菌も殺してしまい、身体に副作用というダメージをもたらしてしまいます。
「薬」は、「毒」でもあり、「毒を持って毒を制する方法」なので、他に手段が無い時に用いる以外は、避けた方が良い最終手段です。
安易に「薬」を多用すると、病気で弱っている体に、更に「毒」を加えることなので、体を壊しかねません。
出来るだけ「薬」が必要じゃない状態に戻す努力が、必要というわけです。
どんな医療も、体の回復する手助けをしているだけで、結局は、自分の「免疫力」に、頼るしかないというのが、現状です。
© Tawashi2006
二見興玉神社の夫婦岩
話は変わりますが、神道に「厄」(やく)と呼ばれる災いを失くす為に行われる「禊祓」(みそぎはらえ)というものがあります。
本来は、水による「禊」(みそぎ)と、火、塩、供え物による「祓」(はらえ)とに分かれますが、現在では、「祓い」の語で「禊」を表すことが多くなっています。
厄を落とすと表現されますが、代表的な「厄落とし」は、「洗うこと」、「流すこと」、「捨てること」の三つがあり、これが実現出来れば、幸運な人生が送れるというものです。
よく、日本人は、人から嫌な行いを受けても、相手を許す時に、「水に流す」と表現します。
これも、神道の考えから来た言葉です。
この神道というものは、実は、道教の考え方を元に、日本で独自に発展した宗教です。
「厄」のことを、「穢れ」(けがれ)とも呼びます。
「穢れ」は、「気(け)が枯れる」という意味で、元気でないありさまを指します。
日本書紀や、古事記には、イザナギが、黄泉の国より戻って来た時に、海水で体を洗ったことが、書かれています。
「禊」の初めであり、その行為によって、天照大神、月読命、素戔男の三神が生まれたとされます。
伊勢の二見浦(ふたみがうら)という所に、二見興玉神社(ふたみおきたまじんじゃ)という神社があります。
夫婦岩が有名です。
大きい方の岩が、猿田彦大神(さるたひこおおかみ)で、小さい方の岩が、宇迦御魂大神(うかのみたまおおかみ)だと言われます。
宇迦御魂大神の別名は豊受大神(とようけのおおかみ)と言われ、伊勢神宮の外宮で祀られる神様になります。
猿田彦大神は太陽を表し、天台宗の中心である比叡山の山王(さんのう)であり、豊受大神は月を表し、真言宗の中心である高野山の稲荷明神を意味するようです。
ただし、宇迦御魂大神は、大宜都比売(おおげつひめ)という穀物神の意味も含んでおり、別名を天宇受賣命(あめのうずめのみこと)とも呼び、猿田彦大神とセットになってこの世を去った推古天皇(すいこてんのう)の別名だと思われます。
「二見」には豊受大神と、天宇受賣命(あめのうずめのみこと)の「二身」(ふたみ)という意味があるものと思います。
それから、伊弉諾命(いざなぎのみこと)が亡くなった伊弉冉命(いざなみのみこと)に会いに黄泉の国に行った時に、決して振り返って見てはいけないという約束を破って蛆の湧いた伊弉冉命(いざなみのみこと)を見てしまい、離縁する切っ掛けとなった「二見」(ふたみ)という意味も含んでいるのかもしれません。
伊弉諾命(いざなぎのみこと)は物部氏を表し、伊弉冉命(いざなみのみこと)は秦氏を表し、海水で「禊」をする事によって、伊弉諾命(いざなぎのみこと)は伊弉冉命(いざなみのみこと)の力を借りずに、天照大神、月読命、素戔嗚尊の貴い三神を生み出したとされます。
猿田彦大神は秦氏(忌部氏)を代表する神様で、兵庫県赤穂市の「大避神社」(おおさけじんじゃ)で祀られる猿楽、能楽の始祖の「秦河勝」(はたのかわかつ)を神格化した神様だと思われます。
海水の「塩」の神様の塩土老翁神(しおつちおじのかみ)や、白髭明神(しらひげみょうじん)とも呼ばれる藤原鎌足(ふじわらのかまたり)を神格化した神様とも習合する形になり「翁猿楽」(おきなさるがく)が生まれます。
つまり、推古天皇の「忌部氏」(いんべし)が「藤原氏」に天皇家の祭祀の役目を奪われた形となり、猿田彦大神は「忌部氏」(亀)と「藤原氏」(鶴)の「二身」(ふたみ)という意味も含んでいるものと思われます。
「興玉」(おきたま)は、猿田彦大神の別名である高良玉垂命(こうらたまたれのみこと)の持つ二つの「玉」を指し、満潮の「豊玉姫」(とよたまびめ)=市杵島姫(いちきしまひめ)と、干潮の「玉依姫」(たまよりびめ)=豊受大神の二人の「玉」を置いて潮(しお)の満ち引きを司る神様であり、大和から伊勢に天照大神を祀りする場所を移した導きの神様のようです。
この神社に多くの「蛙」の石像が置かれていて、猿田彦大神の使いだとされます。
中国の神話では、西の果ての黄河の源に「玉」(翡翠)が産出する崑崙山(こんろんさん)と呼ばれる伝説の山があり、そこに不老不死の西王母(せいおうぼ)と呼ばれる女神が住んでいるとされます。
その西王母から羿(げい)という弓の名手が、不老不死の薬を貰い受けたのですが、その妻であった「嫦娥」(こうが)が永遠の命に目が眩み、その薬を盗み月に逃げ込んだとされ、この悪事の為に美人であった「嫦娥」(こうが)が醜いヒキガエルに変えられたという話があります。
伊弉冉命(いざなみのみこと)のモデルが西王母だと思われ、「嫦娥」(こうが)は推古天皇を意味しているのかもしれません。
「蛙」(かえる)を中国では「蟾」(せん)と言い、蛙のいる月を「玉蟾」(ぎょくせん)と呼びます。
玉(ぎょく)が宝石などの財宝を表す事からお金とも結びつきが強いようで、「金蟾」(きんせん)=「金銭」(きんせん)の霊獣としても信仰されるようになります。
道教の影響を受けた高句麗の始祖である東明聖王(とうめいせいおう)=朱蒙(しゅもう)などは、「金蛙王」(きんあおう)と呼ばれる金色の蛙と、黄河の神様である河伯(かはく)の娘の柳花(りゅうか)の子だとされ、蛙と道教は深く結びついているようです。
製鉄文化を日本に伝えた百済(くだら)に対して馬事文化を日本に伝えた高句麗(こうくり)は、蘇我氏と結び付きの強かった国だと思われます。
蘇我氏を率いた天武天皇(てんむてんのう)は、長野県の諏訪大社(すわたいしゃ)で祀られる建御名方神(たけみなかたのかみ)と同一神にされたのだと私は思います。
現在は動物愛護団体からの苦情が殺到し、公開を中止する形となっているようですが、毎年、元旦に生きた「蛙」を矢で串刺しに射抜いて生贄に捧げる「蛙狩り神事」(かわずがりしんじ)と呼ばれる神事が行われていました。
また、「酉の祭」(とりのまつり)と言われる「御頭祭」(おんとうさい)では、75頭の鹿の首が贄(にえ)として捧げられ、仏教の影響を受けて狩猟を禁じた天武天皇を、狩りや贄の神様として祀る意図があったものだと思われます。
守屋山(もりやさん)の麓に諏訪大社が建てられていますが、生贄を望んで素戔嗚尊(すさのおのみこと)に退治されたとされる八岐大蛇(やまたのおろち)は、龍神である物部氏の物部守屋(もののべもりや)の事であり、守屋山を象徴するものと思われます。
この神社によって、生贄を望んでいたのは蘇我氏=九頭龍大神(くずりゅうおおかみ)だと言いたいようです。
また、道教には「蝦蟇仙人」(がませんにん)という仙人がいて、小銭を餌に「青蛙神」(せいあじん)と呼ばれる三本足のヒキガエルの神様を捕らえて家来とし、従えているそうです。
「蝦蟇仙人」(がませんにん)は三国時代の呉(ご)の孫権(そんけん)が賓客として迎えた「葛玄」(かつげん)という仙術を使う伝説の人物をモデルにしているとか、或いは呂洞賓(りょどうひん)という仙人から仙術を習ったとされる五代十国時代の最初の王朝である後梁(こうりょう)の「劉海蟾」(りゅう かいせん)がモデルだとも言われます。
「青蛙神」(せいあじん)の三本足なので、日本では宗像三女神のアマガエルを意味するのかもしれません。
「蛙」は田んぼなどの水辺を好み、雨乞いをするかのように鳴く事から、邪馬台国の卑弥呼(ひみこ)=推古天皇(すいこてんのう)を象徴しているのかもしれません。
天武天皇の長男の高市皇子(たけちのみこ)の病気が治るようにと泣いたとされる桧隈女王(ひのくまおおきみ)=「哭澤女神」(なきさわめのかみ)も、伊勢に移される前に天照大神を祀っていた奈良県桜井市にある桧原神社(ひばらじんじゃ)を指し、推古天皇(すいこてんのう)を象徴する架空の人物だと私は思います。
「蛙」(かえる)は万葉集などでは「蛙」(かわず)と呼ばれ、京都の木津川(きずがわ)と合流する井手(いで)の玉川(たまがわ)の「山吹」(やまぶき)と共に歌われます。
井手は弓を射る皇極天皇の射手(いで)という意味と、桃手姫(ももてひめ)と言われた推古天皇の手が猪の手へと変えられた猪手(いで)などの意味を含むものと思われます。
推古天皇と同族と思われる忌部氏(いんべし)はホラー映画『リング』の貞子(さだこ)ではないですが、千葉県の安房神社(あわじんじゃ)の井戸の中に忌部塚(いんべづか)があり、井戸の手を意味しているものと思われます。
ヤコブの11番目の子供のヨセフがユダに騙されて井戸に放り込まれた事とも、おそらく関連があるものと私は思います。
井手は、元々は左大臣の橘諸兄(たちばなもろえ)の別荘のあった場所だとされ、橘諸兄が三本足の蛙を埋めたとされる蛙塚や、橘諸兄の井戸とされる六角井戸(ろっかくいど)など推古天皇の関連を思わせる言葉が並びます。
井手は湧水が豊富な土地で、古来、この土地から汲まれた水は「井手の玉水」と称賛されます。
井手の蛙は河鹿(かじか)と呼ばれる黒い小型の蛙が多く、鳥のような美声で鳴く事から古来より、河鹿籠(かじかかご)と呼ばれる籠に入れて飼育されていたようです。
カジカガエルの美声
https://www.youtube.com/watch?v=gnK00uOLsa8
御膳八神(みけつはっしん)を生み出す「天の誓約」(あまのうけい)が行われた、豊受大神を象徴する籠神社(このじんじゃ)は、推古天皇を閉じ込める「籠」(かご)という意味があるのかもしれません。
六角井戸の六角形も、籠目紋(かごめもん)の中に出来る六角形も、推古天皇だというわけです。
河鹿(かじか)は、宴席の州浜台(すはまだい)に施された華美な趣向を愛でる「風流」(ふうりゅう)の元祖と考えられますが、やはり、その見た目からか、同じく美声で見た目にも美しい「鶯」(ウグイス)に地位を取って代わられたようです。
橘諸兄の墓は秦氏を象徴する「天香久山」(あまのかぐやま)の北側にあり、天香久山(あまのかぐやま)の別名を「橘山」(たちばなやま)とも呼ぶ事から、「忌部氏」(いんべし)に代わって「橘氏」が豊受大神(とようけのおおかみ)を象徴する秦氏の氏族として広く繁栄していく意味合いが籠められていたのかもしれません。
「忌部氏」は天皇の祭祀を行う推古天皇(卑弥呼)と同族の氏族だったと思われます。
「忌」(いむ)には、「嫌って避ける」や、「憎む」、「妬む」という悪い意味の言葉になりますが、天武天皇が滅ぶ平安時代以前は、神に仕える「斎(いつ)く」や、祭りを表す「斎(いわ)う」、「清める」という意味の「斎」(いむ)から「斎部氏」(いんべし)という言葉が使われていたようです。
現在は「斎」(いむ)も、「忌」(いむ)も同じ言葉とされますが、断然、後者の方が悪い意味になります。
山口県下関市に豊玉姫(とよたまひめ)を象徴する「満珠島」(まんじゅしま)と玉依姫(たまよりひめ)を象徴する「干珠島」(かんじゅしま)の二島を有する「忌宮神社」(いみのみやじんじゃ)という神社があります。
ご祭神は第一殿に「仲哀天皇」(ちゅうあいてんのう)、第二殿に「神功皇后」(じんぐうこうごう)、第三殿に「応神天皇」(おうじんてんのう)が祀られています。
「仲哀天皇」は、八幡神(はちまんしん)では「比売神」(ひめかみ)と、どちらかが祀られるケースが多く、推古天皇の代わりとなった「蘇我倉山田石川麻呂」(そがくらやまだいしかわまろ)を表している天皇だと思われ、忌部氏と同族だったのだと思われます。
後、もう一人、「翁」(おきな)を象徴する武内宿禰(たけうちすくね)という重要人物がいますが、こちらは「忌部氏」の後継者になる為に、後に「橘氏」と政権争いをする「藤原氏」の元祖の藤原鎌足(ふじわらのかまたり)を象徴する人物と言えそうです。
「斎部氏」から「忌部氏」に名前が変わった後、推古天皇には「額田」(ぬかた)という「泥」(どろ)を意味する名前が充てられます。
また、井手には玉津岡神社(たまつおかじんじゃ)と呼ばれる神社もあり、赤い瑪瑙(めのう)の玉の女神の阿加流比売神(あかるひめのかみ)=下照比売命(したてるひめのみこと)が祀られています。
推古天皇の事であり、「河鹿」(かじか)を表します。
よく似た名前に高照比売命(たかてるひめのみこと)と呼ばれる女神がいますが、こちらは高御産巣日神(たかみむすびのかみ)を象徴する女神で、下照比売命(したてるひめのみこと)とは別の玉依姫(たまよりひめ)を象徴する白い瑪瑙の玉の女神だと思われます。
不老不死の実だとされた「橘」(たちばな)を但馬牛(たじまぎゅう)という牛の生産地となる但馬国(たじまのくに)を象徴する田道間守(たじまもり)=蘇我倉山田石川麻呂(そがくらやまだいしかわまろ)に採りに行かせた第11代天皇の垂仁天皇(すいにんてんのう)が十一面観音菩薩(じゅういちめんかんのんぼさつ)であり、豊受大神に当たるようです。
「広」(ひろ)という字は、元々は「廣」(ひろ)と書かれ、豊受大神の別名を末廣大神(すえひろおおかみ)とも呼ぶように、沢山の人達を統括する庶民の意味合いがあるようです。
太陽が沈む西を守護する広目天(こうもくてん)も視野が広い神様でもあります。
豊受大神の仏教名のお稲荷さんは庶民の神様として、もっとも多い神社で、マタイの福音書の「狭き門より入れ」の真逆の「広き門」の意味がありそうです。
皇極天皇を表す宗像氏族は、瀬戸内海(せとないかい)の海軍で、瀬戸内海の「瀬戸」(せと)は「狭門」(せと)と書かれた時代もある事から、こちらが天国へと通じる「狭き道」なのかもしれません。
「玉川」(たまがわ)は水量が少なく「水無川」(みずなしがわ)とも呼ばれ、推古天皇の「桃」のピンクの花が「山吹」の黄色い花に変えられたものと思われます。
「額田」(ぬかた)「鶯」(うぐいす)「水無月」(みなづき)について
黄色はキリスト教徒にとってはユダの色とされ、13という数字と共に忌み嫌われる色ですが、中国では黄帝(こうてい)の色であり、黄老思想(こうろうしそう)や黄巾の乱(こうきんのらん)を起こした太平道(たいへいどう)など、道教のシンボル色でもあります。
猿田彦大神と共に推古天皇には道教の神様、道祖神としての新しい役割が与えられた形となるようです。
日本の神話では大国主命(おおくにぬしのみこと)が「少彦名神」(すくなひこなのかみ)の正体を尋ねたのが「多邇具久」(たにぐく)と呼ばれるヒキガエルであり、「多邇具久」(たにぐく)は、「久延毘古」(くえびこ)という案山子(カカシ)の神様が知っていると答えたとされます。
「久延毘古」(くえびこ)は九枝彦(くえびこ)であり、九頭龍大神の蘇我氏を表します。
本来、推古天皇は秦氏の系図だったと思われますが、蘇我氏の系図に組み込まれたものと私は思います。
少彦名神(すくなひこなのかみ)は牛を象徴する炎帝神農(えんていしんのう)であり、田んぼの神様の天神様(てんじんさま)に当たります。
「多邇具久」(たにぐく)も「久延毘古」(くえびこ)も田んぼの一部であり、蘇我倉山田石川麻呂(そがくらやまだいしかわまろ)を象徴する少彦名神(すくなひこなのかみ)に吸収される形を表しているものと思われます。
七重八重 花は咲けども 山吹の 実の一つだに 無きぞかなしき(あやしき)
兼明親王(かねあきらしんのう)
訳) 山吹は七重や八重に咲くけれど、実が一つも出来ないのは不思議な(悲しい)事だなあ
橘氏は藤原氏との政権争いに敗れて平安時代末期には受領クラスの中下流貴族となり、地方に土着するものも現れるようになります。
山吹色は富を象徴する小判の色から、庶民の色である安倍川餅の黄粉(きなこ)の色へと変っていったようです。
八重山吹
蛙は多産なので、不老不死の代わりの子孫繁栄を意味し、伊弉諾命(いざなぎのみこと)が伊弉冉命(いざなみのみこと)と離縁した事によって、「沢山の人間が死ぬ」と言われた時に、「ならば死ぬ数だけ子を産まそう」と答えたとされる事から、黄泉(よみ)の国から帰る「黄泉蛙」(よみがえる)という意味があるのかもしれません。
古来、伊勢神宮に参拝する者は、その前に、二見浦で「禊」を行うのが慣わしだったとされます。
海水(塩水)によって、殺菌、消毒するわけです。
つまり、ここは、「禊」の神社であり、天照大神が生まれたということから、出発の神社、「道開き(導き)」の神社でもあるというわけです。
道教の最高神は、天帝(てんてい)という神様ですが、日本の猿田彦大神が、この神様に当たるそうです。
仏教の青面金剛も、同じ神様だと言われます。
青面金剛は、豊玉姫(春日明神)であり、瀬戸内海の海軍であった宗像(むなかた)氏族であり、兎(秦氏)を日本に連れて来た鰐(息長氏)であり、天照大神の後継者である宗像三女神に当たります。
宗像三女神は天台宗の宗紋である三台星(さんたいせい)を意味し、吉野の金峯山寺で祀られる蔵王権現(ざおうごんげん)も同一神と考えられます。
「興玉」(おきたま)には蘇我氏の「勾玉」=「玉」(ぎょく)に代わる宗像氏を表す「沖(隠岐)の玉」=「真珠」という意味があるのかもしれません。
私も、偶然に、今の会社を立ち上げる前に、この二見興玉神社を参拝したのを思い出します。
話が脱線しましたが、「気が枯れる」状態を回復することが、健康を維持する秘訣だということです。
ブルックリン美術館所蔵 猿と鶏を従える「青面金剛」
道教の庚申信仰(こうしんしんこう)を表した江戸時代の掛軸画