芸術

 

   

              © Cyokoku333                        

             倶利伽羅剣                    

 

ヤクザの刺青のことを「もんもん」と呼びます。

 

これは、「くりからもんもん」という言葉から来ているそうです。

 

「もんもん(紋紋)」とは、模様の意味の「紋」を重ねたものだそうです。

 

「くりから」は、倶利伽羅剣(くりからけん)という不動明王の持つ剣に由来していると言います。

 

この剣は、金色の炎をまとった龍が巻きついている剣で、不動明王の化身だそうです。

 

倶梨伽羅龍王(くりからりゅうおう)とも呼ばれます。

 

仏教のシンボルマークで、法輪(ほうりん)というものがあります。

 

           © Esteban.barahona 

         仏教のシンボル 法輪

 

釈迦の教えが八方向に広がるという意味で、車輪のような形をしています。

 

インドにおける理想の王を、転輪聖王(てんりんじょうおう)と言って、金、銀、銅、鉄の四種類の輪宝があり、その中の最も位の高いのが金の輪宝で、転輪聖王は、それを持つと言われているそうです。

 

インドの国旗の中央にあるマークも、この法輪だそうです。

 

           インドの国旗

 

そういうわけで、この龍が、金色というのは、特別な意味があります。

 

仏教で、悟りを開くのを妨げる煩悩のうち、もっとも根本的な原因を「三毒」(さんどく)と呼びます。

 

この不動明王の持つ倶梨伽羅剣は、その「三毒」を断つことが出来る智恵の剣だと言われます。

 

三毒とは、貪(とん)・瞋(じん)・癡(ち)の三つです。

 

貪らない、怒らない、愚かにならないの三つです。

 

満足を知って、心を動揺させず、それでいて、人の話はよく聞いて勉強する。

 

不動明王の不動とは、動かないことです。

 

「動かないこと山のごとし」で、山岳信仰の「山」が信仰の対象となっています。

 

三輪山を御神体とする「大物主」も、同じ神様だと言われます。

 

キリスト教では、ミカエルという天使が、不動明王とよく似ていますが、その歴史は、それよりも、ずっと古く、もともとは、シュメールのドゥムジという神様で、それが地中海に広がって、アスクレーピオスと呼ばれ、ギリシャに辿り着いて、神々の頂点として、ゼウスと呼ばれました。

 

この神様の特徴は、雷という電気を操ることと、人形などの偶像に代表される芸術の神様だということです。

 

シュメールや、エジプトでは、土から人類を創った神様だとされます。

 

この神様が、もっとも出世した、ギリシャという国の彫刻は、まさに、偶像の芸術と言えます。

 

アーリア人が入って来る以前のインドのインダス文明を作ったのも、ナーガ族と呼ばれる龍を信仰する人達で、おそらく、この神様と関係があると思われます。

 

インドでは、インドラと呼ばれ、後に、ヴィシュヌという神様と同化されました。

 

ヴィシュヌは、仏教も取り入れて、釈迦は、ヴィシュヌの変身した姿だとされました。

 

このナーガ族の信仰は、ヒンドゥー教に吸収され、それによって、偶像の芸術は、インドでも栄えました。

 

カンボジアのアンコールワットで、七つの頭を持つ蛇の像が多く見られますが、これも、ナーガ族の信仰が広がったものだと思われます。

 

現在、日本は、世界的に見て、偶像崇拝の文化が、もっとも進んだ国だと思われます。

 

漫画や、アニメや、フィギアや、ゲームや、ロボットや、そして、自動車や、電車も、みんな偶像崇拝です。

 

どれも、人形や、電気に関係しています。

 

言い方を変えれば、この神様は「科学の神様」とも言えるように思えます。

 

一神教が、偶像崇拝を、禁止するのは、生き物は、神様が創ったものなので、それを真似ることは、神様への冒涜だというわけです。

 

「アールヌーヴォー」という生き物の造形を取り入れた芸術がフランスを初め、ヨーロッパの人々に流行しました。

 

これは日本の浮世絵の影響が強く、ジャポニズムと呼ばれ、パリの芸術家達に多大な影響を与えました。

 

躍動感のある曲線が特徴です。

 

 

葛飾北斎の神奈川沖浪裏の絵は、ドビュッシーによって、「交響詩 海」という曲まで作られました。

 

あの「ひまわり」で有名なゴッホも、浮世絵の熱狂的なファンでした。

 

日本とは、そういう意味で、特別な歴史を歩んでいるような気がします。

 

神道は、自然が、神そのものだという考え方をしますが、この絵を見ていると、冒涜するというより、むしろ子供が親の行為を真似するように、日本人の自然に対する愛情、畏敬の念すら感じさせられます。

 

だからこそ、日本の芸術が、国を超えて、民族を超えて、世界の人々に感動を与えることが出来たのだと、私は思います。