奈良に饒速日命(にぎはやひのみこと)を祀る大神神社(おおみわじんじゃ)と呼ばれる神社があります。

 

饒速日命(にぎはやひのみこと)は、別名を大物主命(おおものぬしのみこと)と呼び、物(刀)の神様とされます。

 

物部氏のご先祖様でもあり、物部氏が蘇我氏に滅ぼされてからは、祟りを起こす神様としても恐れられ、お化けを「物の怪」(もののけ)と呼ぶようになります。

 

天皇家の崇神天皇(すじんてんのう)と呼ばれる天皇が、大物主命を象徴した天皇で、「祟る神」という言葉が使われています。

 

「祟る」とは、タタールという意味で「たたら製鉄」の技術を日本に齎した民族であることを表しています。

 

タタールとは韃靼(ダッタン)とも書き、モンゴル人や、トルコ人を指す言葉でしたが、そのルーツは8世紀前半に建てられた突厥(とっけつ)という民族に行き着きますが、更に遡ると、現在のトルコの辺りに居た製鉄技術を持ったヒッタイト人がルーツだと思われます。

 

突厥(とっけつ)の一部の民族が、製鉄の技術を買われて、不死鳥(フェニックス)を信仰するフェニキア出身の「海の民」と呼ばれる七つの民族の集合体と合流して、日本に辿り着きます。

 

この「海の民」が、日本では、東漢氏(やまとのあやし)の七姓漢人で、蘇我氏は、その中の一氏族だったようです。

 

ジブリの映画「もののけ姫」も、この大物主命(おおものぬしのみこと)の神話が根底にあるようです。

 

大物主命(おおものぬしのみこと)は、通常は「白蛇」の神様とされますが、大神(おおみわ)が、(おおかみ)と読めるように、「狼」の一族でもあります。

 

トルコでは、突厥(とっけつ)が、テュルク系(トルコ人)の先祖だと信じられていて、中央アジアから「月」(西)を目指してたどり着いた民族がトルコ人で、「太陽」(東)を目指してたどり着いた民族が日本人になったと考えられています。

 

トルコの神話では、祖先が大きな戦いに敗れ、少年一人だけが生き残り、アセナという名の、空のように青いたてがみをしたメスの狼に助けられ、やがて狼と少年の間に10人の子供たちが生まれ、阿史那(アシナ)氏族となり、突厥帝国の中核になったとされます。

 

               トルコの国旗

 

ウイグル人の民話や、テュルク系民族の神話と共通し、司馬遷(しばせん)の史記にも登場し、チンギス・ハーンの「蒼き狼と白い牝鹿」も、この神話が根底にあります。

 

おそらく、「もののけ姫」の山犬モロは、このアセナをモチーフにしているのだろうと思われます。

 

日本には、古来、日本狼を神格化した大口真神(おおぐちまかみ)と呼ばれる神様が存在しました。

 

日本を代表する宝石に、「真珠」がありますが、これは「真神の珠」という意味が篭められています。

 

日本の皇祖神を祀る伊勢神宮のある伊勢という土地は、「真珠」が採れる海でもあるので、この地が選ばれたのだと思います。

 

大口真神は、大和国(現在の奈良県)にある飛鳥の真神原に棲む老狼で、人間を食料とし、人語を理解し、人間の性質を見分ける能力を有し、善人を守護し、悪人を罰するものとして信仰されました。

 

口の神様で、言霊(ことだま)を支配し、厄除け、特に火難や盗難から人々を守る神様だともされます。

 

大口(おおぐち)とは、耳元まで裂けた狼の口のことで、大裂(おおさけ)という意味もあります。

 

大神神社(おおみわじんじゃ)では、白蛇の大好きな「酒と卵」をお供えすることが古来からの慣わしとされます。

 

お酒(おさけ)とは小裂(おさけ)、小さく裂ける口と書きます。

 

この「大」(おお)と「小」(お)には、意味があり、「大」(おお)は物部氏を表し、「小」(お)は蘇我氏を表します。

 

つまり、大裂(おおさけ)も、小裂(おさけ)も共にお酒の神様になりますが、本来、お酒を日本に伝えた神様は小裂(おさけ)の方だという事です。

 

狼(おおかみ)は、「大きく噛む」という意味で、「小さく噛む」は、小噛(おかみ)、つまり、淤加美神(おかみのかみ)のことで、別名を磐長姫(いわながひめ)と呼び、蘇我氏の血統の推古天皇(すいこてんのう)を表します。

 

大碓命(おおうすのみこと)は、大物主命のことで、小碓命(おうすのみこと)は蘇我氏の信仰する神様の素戔嗚尊(すさのおのみこと)のことであり、日本武尊(やまとたける)のことです。

 

お酒を飲む時に用いられる小さい器を「お猪口」(おちょこ)と呼びます。

 

これは、「猪」(いのしし)が蘇我氏を表す動物で、その口が、「狼」に比べて小さい事を表します。

 

お酒は本来は、蘇我氏が齎したものですが、荒神(こうじん)として「大」(物部氏)に吸収され、その一部となります。

 

兵庫県赤穂市にある大避神社(おおさけじんじゃ)は大裂(おおさけ)と同じ意味で、お酒の神社とされ、秦河勝(はたのかわかつ)が御祭神ですが、彼も「大」に吸収され、秦(はた)は八田(やた)と名前を変え、猿田彦命(さるたひこのみこと)として大物主命と集合させられます。

 

「猿」を「日吉」(ひよし)とも言い、太陽の使いで、元々は、蘇我氏に使えた秦氏を表すようです。

 

干支では、「申」(さる)と書きます。

 

「串」という字も似たような漢字ですが、刺されている身が二つなのが、「申」では一つに繋がっていて、「日」という漢字になり、二つのものが一つになるという「結び」の意味があるようです。天細女命(あめのうずめのみこと)=推古天皇と夫婦になった猿田彦大神=藤原鎌足を表しているようです。

 

大物主命は、白蛇だとされ、「白」に穴が開いた文字が「臼」(うす)になります。

 

石臼は、雌臼と雄臼という二つの石を重ね合わせたもので、上部の雌臼には、穀物を落として磨り潰す為の「もの入れ」と呼ばれる穴が開いているので、「臼」という漢字は石臼を表しているのだと思います。

 

ちなみに「鼠」(ねずみ)という漢字の、臼の下にある「、」は、沢山の鼠が隠れている様子を表しています。

 

日本神話によると、「鼠」は、大物主命の子供の大国主命(おおくにぬしのみこと)を、素戔嗚尊等(すさのおのみこと)の試練から助けた動物だとされ、それによって、最終的には、大国主命は、素戔嗚尊等(すさのおのみこと)の婿として認められました。

 

「鼠」の特技は、壁に穴を開けることです。

 

穴が開くと二つの部屋が一つに繋がります。

 

「同」(おなじ)という漢字も、物に穴を開けて二つのものを貫いて一つになった状態を表した象形文字です。

 

つまり、「臼」という漢字と同じく、「鼠」によって穴が開けられて、大物主命と、素戔嗚尊等(すさのおのみこと)が一つになったことを表しているようです。

 

干支のトップは「子」(ね)で、ご存知の通り、子沢山の「鼠」です。

 

「ね」という平仮名も、「鼠」を横から見た姿を表しています。

 

「臼」の下の鼠は、「臼」の子供達を表していて、「根(ね)に棲む」という意味で鼠(ねずみ)なので、「木」(蘇我氏)の「根」(ね)に住む秦氏のようです。

 

おそらく、敏達天皇(びだつてんのう)の子供で、秦氏の血を引く春日皇子(かすがおうじ)が、これに当たるのではないかと思います。

 

干支で2番目の「丑」(うし)は「牛」の事ですが、大物主命と習合した素戔嗚尊等(すさのおのみこと)を表す動物で、天神と呼ばれる土師氏になります。

 

「丑」(うし)の文字は、曲がって、形を変えるという意味があり、牛が石臼の姿になったということかもしれません。

 

「申」(さる)に「大」の中心に重ね合わせると、太陽の昇る「東」(ひがし)になります。

 

太陽が昇る三輪山に、大物主命が祀られているのも、「東」に位置する事が理由のようです。

 

猿が臼の下敷きで思い出すのは、民話の「さるかに合戦」です。

 

満月の模様が見方によってはカニにも見えることから、カニは、兎と同じく「月」の使いで、これも、秦氏を表す生物で、和裁で利用される「握り挟み」(にぎりばさみ)が、カニのイメージだったのかもしれません。

 

「舌切り雀」の童話は、お婆さんの糊(のり)を食べた「雀」(すずめ)の舌を「握り挟み」で切る話で、蘇我氏を鳥で表す場合は、「雀」とされることから、蘇我氏が秦氏によって成敗されることも暗示しているのかもしれません。

 

実は、「子」(ね)から始まって「亥」(い)で終わる東洋の干支は、西洋の牡羊座から始まって魚座で終わる黄道十二星座(こうどうじゅうにせいざ)とルーツは同じもので、メソポタミアのシュメール文明が起源になり、そこに覚えやすく各国が動物を当てはめ発展したものになります。

 

「卯」は丁度、蟹座に当たり、「卯」という漢字を横にしたのが、蟹座のマークになるようです。

 

日本の干支は、中国の干支と似ているのですが、「申」(さる)と、「戌」(いぬ)と、「亥」(い)だけが、内容が異なっているそうです。

 

中国では、秦(しん)、魏(ぎ)、楚(そ)などで、それぞれ異なる暦を使っていたそうです。

 

中国では、1年に12回、月が満ち欠けするので、1年を12で割り、木星の公転周期が約12年なので、この木星を「歳星」(さいせい)と呼び、その運行を表したものを「木星紀年法」と呼びます。

 

通常、暦は冬至の「歳星」(さいせい)の位置を「建子」(けんし)と呼び、夏(か)、殷(いん)、周(しゅう)も、それぞれ異なる暦を使用していたようですが、「建子」を基準に年始が決められていました。

 

何が言いたいのかと言うと、干支のトップは「子」(ね)ではなく「亥」(い)だった可能性が高いということです。

 

伊勢の「伊」(い)も、「亥」(い)と同じ意味で人偏(にんべん)の隣の「尹」(いん)という字は、天下を治めし者という意味があり、一番最初に天下を治めた蘇我氏系の神武天皇(じんむてんのう)の「勢い」を象徴するようです。

 

「猪」(いのしし)を蘇我馬子に例えた崇峻天皇(すしゅんてんのう)が殺害されたことで、天皇殺害の罪で、蘇我氏が滅亡に追い込まれ、蘇我氏を象徴する「亥」(い)が干支の一番最後に位置付けられてしまいます。

 

「歳星」(さいせい)の「歳」(さい)とは「狭井」(さい)であり、その対局に位置する仮想の星を「太歳」(たいさい)として、その運行を「太歳紀年法」として表しました。

 

道教では、この星を神格化した神様を、「太歳星君」(たいさいせいくん)と呼びます。

 

その正体は、周(しゅう)に滅ぼされた殷(いん)の紂王(ちゅうおう)の子供の殷郊(いんこう)だとされ、民間ではもっとも恐れられた大災(たいさい)を起こす祟り神だそうです。

 

日本の少彦名命が「歳星」(さいせい)だとすると、「太歳」(たいさい)は、素戔嗚尊等(すさのおのみこと)に当たるのかもしれません。

 

     蟹座のマーク

 

蟹座の話に戻りますが、秦河勝が建てた広隆寺の末寺の蟹満寺(かにまんじ)では、「蛇」を退治した「蟹」の逸話などもあります。

 

「蛇」は大物主命の天智天皇を表すので、「蟹」は天武天皇を表すようです。

 

天智天皇の長子の大友皇子(弘文天皇)が天武天皇に滅ぼされた壬申の乱(じんしんのらん)を表しているようです。

 

この蟹満寺のすぐ近くに、綺原神社(かんばらじんじゃ)と呼ばれる神社があり、綺原(かんばら)は、(かにはら)とも読み、御祭神が健伊那太比売命(たていなだひめのみこと)という機織りの女神で、櫛稲田姫(くしいなだひめのみこと)の別名だということがすぐに分かります。

 

               ©Ignis

              蟹満寺

 

「さるかに合戦」では、「猿」に騙されて亡くなった「蟹」の子供が、栗(橘氏)と臼(物部氏)と蜂(土師氏)と牛糞(蘇我氏)の助けを借りて、「猿」に仇討をするというものです。

 

「蟹」の子供とは長屋王であり、藤原四兄弟によって長屋王の変で自殺に追い込まれる以前の壬申の乱をテーマに成立した物語かもしれません。

 

「柿」は皇極天皇を表し、「猿」は、「去る」という意味もあり、亡くなった秦氏を代表する秦河勝(はたのかわかつ)を表しているようです。

 

秦河勝は猿楽の始祖で、芸能の神として藤原鎌足を神格化した猿田彦大神と習合します。

 

秦氏の拠点となった京都の太秦(うずまさ)という地名は、「太い秦」という意味があり、秦氏の統率者であった秦酒公(はたのさけのきみ)が、雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)より、禹豆満佐(うずまさ)の姓をもらったことに由来するようですが、実際は、蘇我氏の滅亡と共に名前が変えられたのかもしれません。

 

秦酒公(はたのさけのきみ)がヤマト政権に税を納める際、絹を「うず高く積んだ」ことが、その名の由来と一般的には解釈されていますが、本当の意味は、「兎(うさぎ)が豆(蘇我氏)を満たして佐(助)ける」という意味が含まれていて、満たすというのは秦氏が元々、弓月君を先祖にする月を信仰する氏族なので、満月のことを指し、「太」(うず)が「政」(まさ)国を治めるという事です。

 

「太」という漢字は、「大」に「、」を中心に加えた漢字で、この「、」が、秦氏の「豆」を表し、大物主命に秦氏を加えることで太くなるという意味です。

 

太陽も、「大きい陽」ではなく、「太い陽」なのは、秦氏の「、」が太陽の中心として必要だからです。

 

そして、この「、」は、太陽の黒点(こくてん)を神格化した八咫烏(やたがらす)だとされます。

 

八咫烏(やたがらす)の八咫(やた)は、秦(はた)が大物主命に統合された八田(やた)を表します。

 

色が黒いのは死を表していて、鳳凰(蘇我氏)=素戔嗚尊(熊野権現)が亡くなった事を象徴するのかもしれません。

 

八田という姓が最も多い栃木県の「宇都宮」(うつのみや)は、この土地にある二荒山神社(ふたあらやまじんじゃ)が語源だと言われますが、おそらく「太(うず)の宮」という意味で、蘇我氏や秦氏の子孫が多く住んでいたことが理由だと思います。

 

二荒山神社(ふたあらやまじんじゃ)は、現在は、この土地の開拓を行った崇神天皇の第一皇子の豊城入彦命(とよきいりびこのみこと)を御祭神とするようですが、昔は、大国主命(おおくにぬしのみこと)や、事代主命(ことしろぬしのみこと)と言った物部氏系の神様と、蘇我氏系の健御名方命(たけみなかたのみこと)が一緒に祀られていたようです。

 

健御名方命(たけみなかたのみこと)は、古事記では大国主命の子供とされますが、蘇我氏の神様である素戔嗚尊等(すさのおのみこと)の別名でもあり、皇極天皇と共に秦氏に組み込まれた天武天皇を象徴するようです。

 

二荒(ふたら)とは、物部氏と、蘇我氏を表すようです。

 

徳川家康が日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)を建てた栃木県の日光市(にっこうし)にも二荒山神社(ふたらじんじゃ)があり、宇都宮市と日光市で、物部氏と蘇我氏を表していたのかもしれません。

 

日光(にっこう)という地名も、元々は空海(くうかい)がこの地を訪れた際、二荒(ふたら)という地名に、「日光」の字を当てた事が始まりとされます。

 

「大神」(おおみわ)の「神」(みわ)は、物部氏、秦氏、蘇我氏が三位一体という意味で「三輪」(みわ)とも書かれ、三つの点を山の形にした「△」が鱗紋と呼ばれ、物部氏系の氏族が好んで使う紋です。

 

この「△」の中心に「、」が入るわけです。

 

「プロビデンスの目」と呼ばれるシンボルマークも、「太」(うず)を図形に表したものだと思われます。

 

プロビデンスとは、キリスト教における概念で、「全ての出来事は神の配慮によって起こっている」という考えです。

 

善も、悪も、全てを知っていて、全てのことに理由があり、その全てを支配する絶対的な存在だというわけです。

 

ヤコポ・ダ・ポントルモの描いた「エマオの晩餐」と呼ばれる絵があります。

 

    ヤコポ・ダ・ポントルモ「エマオの晩餐」

 

エマオとは、新約聖書のルカに登場する地名で、「温かい井戸」という意味です。

 

クレオパと、もう一人の弟子が旅をしていたときに、復活したイエス・キリストが現れて食事の招待をされて、処刑されたはずのイエス・キリストがこの晩餐の場にいることに驚いている弟子達を描いたもので、その頭上に「プロビデンスの目」が描かれています。

 

ポントルモは、ルネサンス後期のイタリアの画家で、「マニエリスム」を代表する画家です。

 

「マニエリスム」とは、ミケランジェロの「手法(マニエラ maniera)」を取り入れた作品のことで、マニエラを知らない過去の作家は劣っていると当時は考えられましたが、17世紀に、ピエトロ・ベッローリという人物が現れて、「マニエリスム」を、「型にはまった面白味のない作品」と一蹴りして、「マンネリズム」という言葉が生まれました。

 

美しさとは、本来、比べられないものなので、どんな素晴らしい作品でも、酷評することが可能で、芸術の評価とは結局、技術ではなく、好みだということです。

 

そのことが分かっていないと流行に振り回される結果になるようです。

 

比べられるものと、比べられないものの話

 

ミケランジェロの話

 

「太」(うず)以外にも、「大」に「、」が付く漢字があります。

 

「狼」が家畜化された「犬」という漢字は、「、」は「大」の中心ではなく、外にあるので、「太陽」ではなく、「月」を表す外宮の豊受大神(とようけのおおかみ)を表し、大物主命とは関係はありませんが、「、」が有るので蘇我氏の氏族というわけです。

 

「太」(うず)が「大」(大物主命)と「、」(蘇我氏)を一つにした猿を表す「太陽」の文字で、「犬」(いぬ)は「大」(大物主命)に含まれない「、」(蘇我氏)で、物部氏と仲が良かった大伴氏を表し、狼を表す「月」の文字だというわけです。

 

「、」「太」「犬」の三つ揃って宗像三女神、つまり、「卑弥呼(ひみこ)=菊理姫(淤加美神)」、「壱与(いよ)=市杵嶋姫」、「台与(とよ)=豊受大神」の三人が天照大神となり、シンボルは火の鳥を表す「朱の鳥居」になります。

 

禹豆満佐(うずまさ)は、他にも、禹都満佐(うずまさ)と書かれたり、宇頭麻佐(うずまさ)などと書かれたりもします。

 

宇頭麻佐(うずまさ)は、「宇(馬)の頭が麻を佐(助)ける」という意味になります。

 

大物主命は、饒速日命(にぎはやひのみこと)という名前もあり、最初の妃が麻姫(あさひめ)と呼ばれる女性で、推古天皇(すいこてんのう)の別名です。

 

つまり、「麻」(ま)は、清々しい朝(あさ)の蘇我氏を表します。

 

では、馬の頭とは何かというと、「杵」(きね)で、秦氏を表します。

 

秦氏が物部氏と習合して「馬」を表し、蘇我氏が土師氏と共に「牛」にさせられて、対で狛犬となります。

 

「阿」(あ)=始まりの秦氏と、「吽」(うん)=終わりの蘇我氏になります。「阿」(あ)に「古」(ふるい)という字が付くと赤穂浪士(あこうろうし)の「赤穂」(あこう)と同じ「阿古」(あこ)で「古い始まり」の蘇我氏を象徴し、推古天皇を表します。

 

秦氏が蘇我氏(麻)を助けるということです。

 

宇頭(うず)は渦(うず)の事で災い(禍)を表します。

 

「杵」は、木の午(馬)と書くようにその形が馬の頭に似ていることから出来た漢字です。

 

「市杵島姫」(いちきしまひめ)は「一番目の杵のお姫様」という意味で、秦氏の長女という意味が篭められています。

 

皇極天皇の事であり、麻を象徴する推古天皇ではないよという意味になります。

 

市杵島姫は、桃ではなく、みかんの産地の四国の伊予(いよ)や、愛媛(えひめ)のお姫様という意味です。

 

月が満月になると、月の中に兎(うさぎ)が餅つきをしている姿が映ります。

 

これを、「餅つき」=「望月」(もちずき)と呼び、満月のように丸い餅は、鏡餅(かがみもち)と呼ばれ、縁起物の正月の飾りとして欠かせません。

 

三種の神器の一つとされる八咫鏡(やたのかがみ)も、太陽の光を反射する月を表しているのかもしれません。

 

さて、その餅つきに使用されるのが、「杵」(きね)と、「碓」(うす)です。

 

「碓」(うす)は、大碓命(おおうすのみこと)と小碓命(おうすのみこと)の二人の人物がいて、大物主命と素戔嗚尊(すさのおのみこと)を象徴し、「碓」(うす)を「、」で太くすると、「太」(うず)になるわけです。

 

「杵」(きね)は、蘇我氏の別名の「鳥」の氏族の平群氏(へぐりし)を表しますが、紀氏(きし)という秦氏の血統に変えられます。

 

「鳥」(とり)は干支では「酉」(とり)と書きますが、この漢字は酒瓶にお酒が入っている様子を表した象形文字で、お酒が無くなると「西」(にし)になります。

 

「西」(にし)は、「去る」(申)方角という意味の「去方」(いにし)が訛ったもので、日没の方角を表すようで、「西」(さい)とも読みます。

 

中国の殷(いん)の時代の遺跡(殷墟)からは、「鴞卣」(きょうゆう)と呼ばれる三本足の梟形の酒壷が沢山見つかっていて、ペルシアからやって来たゾロアスター教の影響で、鳥とお酒が結びついていたようです。

 

さて、出雲大社(いずもたいしゃ)の前身で、素戔嗚尊(すさのおのみこと)が御祭神の杵築大社(きづきたいしゃ)は、「木の根を築いた」という意味です。

 

現在は和邇氏(わにし)に統合され、春日氏の神社とされますが、神紋は素戔嗚尊と同じ木瓜紋になります。

 

木の根は、土の中にあることから、死者の国を表します。

 

蘇我氏に協力した秦酒公(はたのさけのきみ)は死んで、物部氏を太くする禹豆満佐(うずまさ)氏になったということです。

 

大口真神(おおぐちまかみ)の話に戻りますが、「真」(ま)は、表面の部分に対して、真実の部分があることを表し、二面性を持つことを象徴します。

 

大物主命の姿と、荒神(こうじん)の姿です。

 

「真」(ま)と同じ読みの漢字に「間」(ま)という字がありますが、これは、門の間に太陽の陽が射すことを表す文字で、大物主命を祀る大神神社(おおみわじんじゃ)と、天照大神を祀る桧原神社(ひはらじんじゃ)の間に挟まれた荒神を祀る狭井神社(さいじんじゃ)を象徴する字になります。

 

「兎」(う)を干支では、「卯」(う)と書きます。

 

門を手で押し開けようとしている様子を表した象形文字だとされますが、門は固く閉ざしていて、「亥」(い)と同じ「閉」(と)じるという意味があるのだと思います。

 

この「卯」に、門の左右の大神神社と、桧原神社を「、」で太くすると「卵」(たまご)が生まれます。

 

「卵」は「鳥」が殻に「閉」(と)じ込められた状態を表します。

 

蘇我氏を象徴する「豆」も、植物が殻に「閉」(と)じ込められた状態を表し、「卵」と同じ意味になります。

 

「開」(あける)という漢字は、門の中に「鳥居」が出て来ますが、この漢字は中国では「分ける」という意味になります。

 

閉じて一つだったものを、分けて二つにするということで、貝を象徴し、天岩戸を表します。

 

「閉」(しめる)という漢字は、川の氾濫を塞き止める木を表した象形文字の、「才」(さい)という文字が中央に有り、狭井神社(さいじんじゃ)を表し、錠前で固く閉じられた門を表します。

 

「才」(さい)は、「天才」や「才能」など、能力を表す意味もあり、年齢を重ねると能力を増す事から、年齢を表す単位として用いられるようになります。

 

また、敵の持つ小さな「才」(能力)を、「猪口才(ちょこざい)なやつめ」などと言ったりします。

 

「大避」(おおさけ)の「避」(さけ)は、昔は門の間に収められていて、「闢」(さけ)と書き、「大闢」(だいびゃく)と読みました。

 

漢訳聖書で、「大闢」(だいびゃく)は古代イスラエルの王ダビデのことで、その関連を指摘する人もいます。

 

ここから少し、ダビデのことについて考えてみたいと思います。

 

興味深いのは、ダビデの王位継承者のソロモンを産んだバト・シェバが、ヒッタイト人のウリヤの妻だったことです。

 

ダビデは、部下のウリヤの妻のバト・シェバが水浴している姿を偶然、目にして、その美しさに目が眩み、彼女を自分の元に呼び寄せ、関係を持ってしまいます。

 

妊娠したバト・シェバを前に、ダビデは自らの罪を隠そうとして、ウリヤを自宅に帰らせて関係を持たせれば、自分の子と勘違いすると期待して、戦地にいるウリヤに休暇を取らせようとします。

 

しかし、忠誠心が厚く、真面目なウリヤは、自宅に帰ろうとせず、ダビデの思惑は外れてしまいます。

 

困ったダビデは、ウリヤが敵陣で戦争している時に、周りの兵士には、彼一人だけを置き去りにして退却するように命じ、戦死させました。

 

サムエル記によると、ダビデのこの行いに怒った主は、ナタンという預言者をダビデに遣わし、貧しくて唯一、一匹の小羊を大切にしている隣人から、その小羊を奪い去った大金持ちの寓話を聞かせ、不正な行為に対する怒りをダビデに起こさせてから、これを、ダビデとバト・シェバの関係に例えました。

 

ダビデは自らの罪を懺悔し、心からの悔悟を表明しましたが、ダビデとバト・シェバの子供は出生後、すぐに亡くなってしまいます。

 

そして、その後ダビデと、バト・シェバの二人目の子供のソロモンが生まれ、たくさんいるダビデの王子の中から、彼女の産んだ子が王位を継ぐことになります。

 

ここで、重要なのは、ナタンの口添えもありますが、自分の過ちを認め、ソロモンに王位を譲ったダビデの心です。

 

  ウィレム・ドロスト画 バト・シェバ ルーヴル美術館

 

そして、そのバト・シェバの子孫が、イエス・キリストになります。

 

イエス・キリストは、ご存知のように処女マリアから生まれたとされる女性的なイメージの強い人物です。

 

マグダラのマリアなど、娼婦にも救いの手を差し伸べています。

 

女性的な価値観を有する宗教が、バト・シェバの血から生まれたということです。

 

バト・シェバは、一応、父がエリアムという名前であることから、一部の学者によって、サムエル記に登場するギロ出身の天才軍師アヒトフェルの子、エリアムと同一視されています。

 

何故、同一視する必要があるのかと言うと、アヒトフェルの孫なら正統なユダ族に間違いがないのですが、もし、ウリヤと同じヒッタイト人だとすると、イエス・キリストがヒッタイト人の血を引いていることになるので、大問題なわけです。

 

ヒッタイト人は、旧約聖書では、ヘテ人と呼ばれ、父はハムという人物で、祖父が、あの「ノアの方舟(はこぶね)」で有名なノアです。

 

ハムの子孫はノアによって呪われた民族ですが、イエス・キリストは、それを打ち消すために主から遣わされた救世主だと私は思います。

 

大物主命の別名の饒速日命(にぎはやひのみこと)も、天磐船(あまのいわふね)と呼ばれる船に乗って日本に渡来したと言われ、ルーツが製鉄技術に優れたヒッタイト人だとするならば、ノアとよく似た伝承を持つのも頷けます。

 

現在、イスラエルがあるパレスチナ地域は、ダビデの時代にはカナンと呼ばれ、ヘテ人、ギルガシ人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人などの氏族が共存して生活していたとされます。

 

饒速日命(にぎはやひのみこと)が率いて日本に渡来したとされる東漢氏(やまとのあやし)は七姓漢人(しちしょうかんじん)と呼ばれる七つの氏族の集合体だったとされ、製鉄技術に精通していて、私は、イスラエルの氏族が、ルーツではないかと思っています。

 

ソロモンの死後、イスラエルは、10支族の北のイスラエル王国と、2支族の南のユダ王国の二つに分かれます。

 

イスラエル王国は、アッシリアに滅ぼされ、アッシリアの植民政策により、サマリア地方に多くの非ユダヤ人が植民し、サマリアに来た異民族との通婚によって10支族としてのアイデンティティを喪失し、サマリアは正統派のユダヤ人からは異民族との混血の地として軽侮されることになります。

 

一方、ユダ王国のユダヤ人は、新バビロニアに戦争で負けて、捕虜として連行されます。

 

これをバビロン捕囚(ほしゅう)と呼びますが、時代が変わり、新バビロニアはアケメネス朝ペルシアによって滅ぼされ、バビロン捕囚(ほしゅう)からユダヤ人は解放されます。

 

この時に、ペルシアの支配下に置かれ、ペルシアの宗教であるゾロアスター教の影響を受け入れてユダヤ教は徐々に確立されていきます。

 

ゾロアスター教は、別名を拝火教とも呼び、「火」を神聖なものとし、「鳥」を神に近い存在とする宗教でした。

 

古代のグノーシス文書や、1世紀から3世紀に成立したとされるギリシア語の旧約偽典「ソロモンの聖約」によると、ソロモンが大天使ミカエルより悪霊を支配する「ソロモンの指輪」を授かったとされ、その悪霊とは、ベルゼブルや、アスモデウスといったペルシア出身の神々でした。

 

大天使ミカエルは、ペルシアの「火」の神様ミトラが出身で、ペルシアの神々の王であったので、それを使いとしてキリスト教が取り入れたもので、バト・シェバの子のソロモンがペルシアの神に守護されていたことを暗示しているのだと思われます。

 

聖書解釈法「デラーシュ」から誕生した文学ジャンルの一つの「ミドラーシュ」によると、ダビデとバト・シェバの罪深い関係は、サタンの影響だとし、サタンは鳥の姿を模して現れ、ダビデが鳥を撃つと命中し避けて、そこからバト・シェバが姿を現したと書かれているそうです。(Sanhedrin 107a)

 

私は、バト・シェバは決してサタンなどではなく、全知全能の神は、全てを分かっていて、あえてこのような関係を仕組んだのだと思います。

 

何故、イエス・キリストが処女マリアから生まれなければならないのか。

 

その答えが、バト・シェバにあるのだと思います。

 

殷(いん)や秦(しん)というペルシアの影響を受けた中国の古代国家がルーツと思われる蘇我氏や秦氏が、日本の飛鳥時代を築き、鳳凰(ほうおう)という太陽の鳥を信仰していたことも、何か因縁のようなものを感じます。

 

シルクロードと呼ばれる巨大な商業ネットワークを築いたとされるソグド人は、テュルク系民族で、おそらく、馬事文化に優れた殷(いん)をルーツとする蘇我氏と同じ民族で、その商業の主役となった絹は、秦氏が生産していたものだと思われます。

 

現在、トルコはイスラム教の国であり、イスラエルはユダヤ教の国で、共に一神教の国です。

 

日本は神道の国ですが、多神教で、仏教の国でもあり、その根底にはキリスト教や、儒教も混ざり合っていて混交宗教であるゾロアスター教とかなり近い形にあります。

 

私が思うには、イスラエルの「失われた10支族」とは、日本人のことで、宗教の違うトルコ(月)、日本(太陽)、イスラエル(星)は、実は先祖が共通するかなり近い存在なのかもしれないということです。

 

 

狼の話から、少し脱線しましたが、ヒッタイト人は、製鉄技術が進んでいました。

 

日本に辿り着いた「狼」の民族は、「たたら製鉄」により、日本刀という武器を作り出します。

 

天照大神も、豊受大神も、大神(狼)の一族だというわけです。

 

全国の猿田彦神社の総本宮とされる椿大神社も、「つばきだいじんじゃ」ではなく、「つばきおおかみやしろ」と読みます。

 

大神(狼)への拘りがあるようです。

 

椿について… 「咲くやこの花 月の雫」ブログ

 

最後に、日本刀について詳しい動画がありましたので、一緒に載せておきます。

 

 

 

 

 


武士道とは、欲望に従って生きるよりも、良心に従って死を選ぶ道で、命より大切にしているものは、名誉であり、それが桜の花に例えられているようです。

 

命とは何なのか考えさせられます。

 

 アセナの白い月 2 へつづく